メコン河開発メールサービス 2000年5月22日
すでにメコン・ウォッチのメールサービスでお伝えしました通り、ベトナムのセサン川にロシアとウクライナの支援を受けて完成したヤリ滝ダムによって、下流のカンボジアのラタナキリ県で洪水が起きるなど大きな被害が出ています。ヤリ滝ダムの直下流にはADBの日本特別基金を投じたセサン3ダムの建設が計画されています。以下は、最近の情報です。
3月に起きた「ヤリ滝事件」と、計画されているセサン3とセサン4ダムの事実関係に関して、公的に得られる情報が全くないまま6週間が経った。プノンペン・ポストの最近の記事は後述するが、それ以外で知られていることは、メコン河委員会( MRC)協議会が3月29日のホーチミン市での会合で、3月16日から19日までベトナム国境のラタナキリ県を訪問したMRCの事実関係調査ミッションの報告とともに、ベトナムとカンボジアのメンバーからセサン川の越境洪水について報告を受けたという事実から始まる。3月のヤリ貯水池からの予測外の放水に関する最初の報告書の後、4月初旬には問題は当初予想されていたよりもどちらかといえば大きくなっている。
メコン河委員会の使節団は、水位が極度に低い1998年の4月から5月の乾期と、11月まで豪雨が続き水位が激しく変動する1999年の洪水の季節の間の、セサン川から下ってアンドン・ミーズ地区とタ・デン地区(後者はヤリから川で150?)までの水位の異常な変動を報告した。
メコン河委員会の報告書によると、川岸内における4m―5m/時間の水位の急上昇で、このパターンが2000年の1月から3月初旬の時期に7日から10日のサイクルで続いた。1月には川面の急激な上昇でボートが転覆し3人が溺れ、3月初旬には突然の水位の上昇で砂洲で水浴びをしていた3人の子どもが溺れた。3月にはヤリ滝の下のセサン川に焦点を当てた洪水緩和戦略への明らかな必要性が持ち上がり、4月上旬にはまた、セサン3水力発電プロジェクトからの将来的な流れがいかにラタナキリ県の川の放出に影響を与えるかの不確定要素が出た。
4月17日で始まる週に、(ベトナムとカンボジアの)2つの国の参加者、メコン河委員会代表団、そしてアジア開発銀行職員を含めるため現場での会合が計画された。アジア開発銀行は、ヴェトナムへの2000年の融資プログラムのもと、セサン3水力発電開発に8000万USドルを割り当てた。
4つの参加者の間で現在行われている議論から、どのような結果が出るかはまだ明らかではない。現段階でセサン3の建設は「セサン・カスケード(人口滝)」の第2段階として進められる可能性が高いが、大規模貯水池よりは「貯水量」というかたちでのバックアップ(裏打ち)がついている。これはセサン3プロジェクトが発電することを可能とし、しかしまたヤリ滝の下の川の放出を和らげ、下流の洪水を緩和するのを可能とする。
長期的視点を持ち、我々は2000年の1月から3月までの間ラタナキリ県で悲劇的に失われた6人の命(そしてその時期、または11月―12月でベトナムのセサン上流でさらに溺死したと思われる何人か)が、洪水の緩和に役立つことを望むべきである。1999年後半のベトナム中央部での連続した洪水は今世紀最悪の経験であり(Le Huu Ti)*、これらはその後1月から2月までの豪雨と続く。
これらのひどい出来事はこの地域の最近の歴史上前例のないものであるが、地球温暖化の結果、今後10年でさらに頻発する可能性がある。もしそうならば、効率的な洪水緩和の手順の決定を今行うことは適時であり、メコン河委員会とアジア開発銀行から支援されたこの越境協力の例は、関係者に好影響をもたらすであろう。
* Le Huu Ti(2000)
「21世紀における中央ベトナムの経済社会開発戦略に適したアジアにおける洪水統御と管理の経験」21世紀の始めの中央ベトナム社会経済開発戦略に関する国際会議のために用意された論文、ダナン大学と米国―ベトナム財団共催、ダナン、4月20日―21日