メコン河開発メールサービス 2000年6月15日
バンコクの久世さんが、パクムン/ラーシーサライ関連の14日の新聞報道について報告して下さいました。15日にEGATがデモの強制排除をするかどうかという点は、比較的楽観論が大勢のようです。中立委員会の「ダムを開門せよ」という勧告の扱いが最大の焦点でしょうか。委員会が与えられている結論を出すまでの15日間が過ぎる20日頃が、次の山場となるようです。
明日、15日危機について、バンコクの学生活動家、パクムンから来た住民は、「おそらく深刻な事態は生じないと思う。脅しは何度も受けているが、EGATが実際に実力行使を行える状況ではない・・」と言っています。いづれにせよ、状況を注視したいと思います。
14日付けカウソット紙から、今日は記事が少なめです。
-EGAT職員200名、デモサイトに押しかける
-チュワン首相の不誠実な回答
12日11時50分、EGAT職員200名が、警報燈を点灯させたクレーン車1台、オレンジ色のトラック3台、緊急用と書かれたバン、乗用車、ピックアップ20台に乗って、メームンマンユーン第7村の前を通過し、ダムサイトを横切って西の方向へ走り去った。その後、コンジアム郡バーンフアヘウ学校(ダムからおよそ1キロ)でUターンし、メームンマンユーン第7村に引き返してきた。そ
して、デモサイトから50メートル離れたダムにある警備員詰め所の前に駐車し、乗りこんでいた200名の灰色の作業着を着たEGAT職員が警備員詰め所前に集結した。・・集結したEGAT職員は、デモサイトに向かい、EGAT担当官が住民側と鉄条網を挟んで話し合った。EGAT側は発生するかもじれない損害の件を理由に、発電所施設への立ち入りを許可するよう要求した。しかし、住民側は、EGATに8門すべての水門を4ヶ月間開放される内容の中立委員会の調停案が提出された。住民側は政府が水門開放の命令を出すまで待って、それからダムサイトを開け渡すと主張した。
EGAT担当官と住民代表が話し合っている間、他の住民たちは座禅を組み非暴力主義を表明した。その後、ダム施設に入れないことを不満に感じたEGAT側は、「そういうことなら、出直して来る。待ってろよ」と捨て台詞を吐き退出した。しかしながら、今日は、前回まで姿を見せていた「EGATの指なし(スティップ・ガンジョナスート氏:EGAT広報部、手の障害があるのでこう呼ばれる)」は現れなかった。また、EGAT主催の貧民連合誹謗集会も開かれなかった。
EGATが撤退した後、デモ住民の間では緊急の事態への心構えについて念を入れ、デモ村の中の安全保持について話し合った。なぜなら、EGATの職員の一部は依然、中立委員会主導の問題解決過程を理解しておらず、委員会の提案を聞き入れようとしていない上、水門開放をはっきり拒絶しているからだ。また、デモ住民を怖がらせ、ダムから退去させる為にあらゆる手段を使おうとしている。バムルン・スックパーニット警察少将(ウボン県警アンプームアン警察管区長)は、「地域の安全確保は副知事を議長とする県公安委員会の任務である。しかしながら、現在、私のところも制服・私服警官を現地に派遣し、安全の維持に当たらせている。内務省も中立委員会を設置して問題解決に当たっていることだし、おそらく暴力的な事態は発生しないと思う」と語った。
チュワン首相は、委員会提案が内務省に送付させた件について記者団の質問に答えて「まだ、報告を受けていない」と回答を拒否し、またEGATが提案に難色を示している点についても「委員会がどういう決定を下したのか知らない」と答えた。