メコン河開発メールサービス 2001年2月14日
世界銀行の融資で建設されたパクムンダム(タイ)問題についての最近の情報です。抗議行動12年目を迎えた被影響住民たちは、昨年半ばからバンコクの首相府前での座り込みを続けています。
新聞等で報じられていますように、タイの企業家タクシン氏率いるタイラックタイ党(タイ人がタイを愛するという意味)が正月の総選挙で大勝し、所得隠しによる憲法違反の訴追を受けながらタクシン氏が首相に選出されました。そのタクシン新首相が、まず行なったのが首相府前の「貧民連合」の人たちとの対話でした。
「法律とは国の問題を解決するときの限界を示すものではなく、国の抱える問題を解決するためのものでなければならない」
マスコミのインタビューにそう答えたそうです。以下は、2月12日のタイ字新聞カオソットの記事を、メコン・ウォッチ調査員の木口由香さん(在バンコク)が抄訳したものです。
12日付けカオソット紙
(本文はほぼ紙面1ページ分ですので、発言などを部分的に訳しました。本文をご覧になりたい方はwww.matichon.co.thのカオソットのページで確認してください)
10日、タクシン首相はインタビューに答え、首相としての最初の仕事は、首相府前で抗議活動を続ける貧民会議(サマッチャー・コンヂョン)の住民と昼食を共にして、直接住民たちから問題を聞くことだと明らかにした。タクシン首相は「彼らも問題を抱えたタイの国民の一人だ。彼らの話を聞かなくてはならない。法律とは国の問題を解決するときの限界を示すものではなく、国の抱える問題を解決するためのものでなければならない。もし、今ある法律で問題を解決できないなら、法律が現状に合わないということだ」と語った。
また、貧民連合の住民に帰宅するよう求めるのか、という記者の問いに対して、首相は「まず、話し合ってからだ。彼らはいくつもの政権から約束を守ってもらえなかった。そのため疑心暗鬼となっている。まず、慈悲を持って話し合うことだ。私は警備の警察官に命じて、首相府前の防護柵(バリケード状の)を取り払うように命じた」と語った。
12時、首相はスダラット女史などタイ愛国党(タイラックタイ)の主要メンバーとともに、首相府前に現れた。住民は、パパイヤサラダ(ソムタム)など東北タイの料理を作って首相を歓迎した。首相は、貧民連合顧問のチャヤパン氏らから、住民の抱える問題について説明を受け、住民と話し合った。タクシン首相は始終笑みを絶やさず、現場は和やかな雰囲気だった。首相は、ワニダー貧民連合相談役の案内で、抗議村の学校などを視察して2時ごろ現地を離れた。記者によると、最後に首相は、顧問のチャヤパン氏に「何でも相談するように。これからは首相府の塀を乗り越える必要は無いから(訳注:昨年7月、前政権と話し合いを求めて住民が首相府の塀を乗り越える、という抗議活動を行ったことを受けて。200人以上が逮捕された)」と言い残して帰ったという。
貧民連合顧問のワニダー・タンティウィタヤーピタックさんは「首相の訪問を住民は歓迎している。今までは金をもらって雇われて座り込みをしている、などと非難されてきたが、首相の訪問があったことで、本当に問題を抱えているのだと見直された。首相の顧問には70年代に学生運動に関わっていた人々がおり、首相は問題の真偽をわきまえているはずだと思う。問題解決の最初の関門として、事実を知ることは重要だ。事実を知れば、おのずと解決の道筋が見えてくるはずだ」と語った。
チャヤパン氏も「首相が村落開発基金を使って問題解決できるのかどうか、五分五分というところだ。ただ、3ヶ月で問題解決が形になれば貧民連合は帰宅するだろう」と話している。
パクムンダムにある抗議村「悠久なるムン川の村1(メームン・マンユーン1村)」では、住民による会議が行われたが、部外者は立ち入り禁止であった。住民代表のソンポーン・ヴィエンチャンさんによると、住民はダム建設後8年間分の漁業被害の補償を政府に求めていく予定だと言う。
また、農作業に村に帰っていた住民の多くが、屋根の材料や家財を持って、再びダムサイトのメームン村に向かっている。一方、タイ発電公社は住民が再びダム本体を占拠するのを恐れて、夕方6時から朝の6時まで、公道となっているダムの上を通行禁止にした。