メコン河開発メールサービス2001年10月10日
タイの諫早とでも言うべく、住民の粘り強い運動で水門が開放されたパクムンダム(世界銀行融資)とラーシーサライダムについて、住民グループは、水門を今後も開放し続けるよう求めており、バンコクまでの要請の旅を始めます。
以下、パクムンダムの地元ウボン大学教員の土井利幸さんの翻訳です。
バンコクポスト 2001年10月6日
貧民連合は、来週の火曜日(10月9日)にパクムンダムとラーシー・サライ・ダムの水門の永久開放*を求めて、パクムンダムがあるウボンラチャタニー県から(首都バンコクの)首相府まで700キロにおよぶ行進を開始する。
貧民連合相談役のワニダー・タンティウィタヤーピタック氏は、政府に要求を聞き入れさせようと様々な働きかけを行なってきたが功を奏さなかったので、行く先々で人々の支持を得ようと行進を思い立ったと語った。
ワニダー氏は、パクムンダムとシー・サケット県のラーシー・サライ・ダムの水門を開放することで、魚が川に戻り村人たちの生活が向上すると述べた。
ムン川流域に住む村人たちはメコン河の魚が遡上し産卵できるように水門の開放を求めている。村人たちは1999年3月以来パクムンダム近くに抵抗村を作って住み込み、水門の開放を要求している。
内閣は4月に環境への影響を調査するために、タイ発電公社(EGAT)に対してパクムンダムの4基**の水門を4ヶ月間開放する命令を下した。その期限はすでに8月31日に過ぎている。
訳者注
*ラーシー・サライ・ダムについて、4月の閣議決定は「2000年7月25日の閣議決定を踏襲する(すべての水門を開放し、補償額確定のため水没した土地の調査を行う)」としている。
**実際には水門は8基あり、記事の時点では全8基とも開放されている。
***4月3日の閣議決定では、期限は「2001年9月15日」となっている。今年どの時点で水門が開放されたかについては立場によって見解が異なる可能性があるが、新聞報道などは6月14日としている。