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ラオス金鉱開発>ニューヨークタイムズ記事

メコン河開発メールサービス 2002年5月2日


ベトナム国境に近いラオス南部のサバナケート県セポン郡で、同国では最大の金鉱開発が始まりました。世界銀行グループのうち民間セクターを支援するIFC(国際金融公社)が支援を決めたのです。日本基金もキャパシティビルディングなどのために供与されるとのことです。日本のコンサルタント会社が入札の準備をしていると聞きます。

鉱山開発をめぐっては、世界的に水質汚染などの環境問題が指摘されてきました。世界銀行グループも採掘事業全体のレビューをしている中で、今回の支援決定となりました。また鉱山開発には多くの電力が必要です。セポン郡にそれだけの電力を供給する発電所はありませんので、今後ダム開発が合わせて進む可能性があります。

こうした社会環境面での懸念はOXFAMなど国際NGO間で出されてきました。その詳細につきましては別の機会に紹介するとしまして、今回は、3月5日のニューヨークタイムズ紙の記事を紹介致します。メコン・ウォッチの福田健治の翻訳です。


旧爆撃地ラオスで金鉱山開発

ウェイン・アーノルド

ニューヨークタイムズ、2002年3月5日

この大地には、何百万オンスもの金、何百万トンもの銅、そしてベトナム戦争からの名残である何千ポンドもの非常に古いアメリカ製の不発弾が埋まっている。「何をするにも、爆弾のことを考えなければいけない」と語るのは、当地で鉱山開発に取り組むオーストラリアの中小企業Oxiana Resources社でプロジェクト・マネージャーをつとめるMichael Wilkes氏だ。「どこにいくにしても、まず不発弾処理をしないといけないんだ」。

セポンは、山を掘る者たちが知るようになるはるか以前から、アメリカ軍のパイロットによってホーチミン・ルートの要所、つまり北ベトナムからラオス・カンボジアをぬけて南ベトナムに届けられる部隊と物資の中継所として知られていた。1960年代末期から1970年代初期にかけてこの流れを断ち切ろうとあがいた結果、米軍はラオスを人類史上最大の爆弾投下攻撃にさらすことになった。細長い国土を持つラオスには、ベトナムよりも、第2次世界大戦時のヨーロッパよりも多くの爆弾がアメリカの手によって落とされたのだ。

現在、Oxiana社は爆弾で穴だらけにされたジャングルをラオス初の経済特別区の一部にするべく支援を行なっている。ラオスの首都ビエンチャンから南東に250マイル(約400キロメートル)の場所で行なわれるOxianaのプロジェクトは、ラオス史上実質的に初の鉱業への海外投資である。今年の終わりまでに採掘が始まれば、Oxiana社の見積もりによると約10億ドルの金と20億ドルの銅が、労働者の手によって掘り出されることになる。

Oxiana社の鉱山によって、待望の税収がもたらされ、海外投資不足にけりがつくのではないかとラオス政府は期待している。この貧しく停滞した共産主義国家への投資は干上がっており、これまで以上に海外からの援助に依存している。ビエンチャンにいるアジア開発銀行(ADB)駐在代表のPaul V. Turner氏は、「Oxiana社のような投資であれば、これまでの状況を180度転換させられるかも知れない」と言う。

ラオスに住む500万人以上の人々の生活水準は、東南アジアというよりアフリカに近い。辺境の村では、読み書きのできない子どもたちが一日90セント以下で生きながらえている。多くは都会に出ようとするが、結局メコン河を渡ってタイに行き、タコ部屋で働いたり売春婦となる。

ラオスは最貧国としての地位から2020年までに脱したいと考えているが、これには、国際通貨基金(IMF)の推計によると、年最低7パーセントの経済成長率が必要とされる。昨年の成長率は5.5パーセントだった。IMFなどは、ラオスが7パーセントの成長率に達するためには、より投資家好みの経済体制を築かなければならないと指摘している。

こうした施策は、正式には「人民共和国」を冠するラオスにとっては破戒を意味するようにも見える。しかし、この国の共産党指導部は、1975年に権力の座についてからも、必ずしも教条的であったわけではない。25年前に集団化に失敗して以来、政府は現実路線を取って、1986年には、市場経済建設を目的とする「新経済メカニズム」を承認した。

また、1991年には、私有財産と自由企業を明記した憲法を採択した。国旗から鎌トンカチ(訳注:社会主義国の象徴)は消え、3年後には東南アジアで最も開放的な海外投資に関する一連の法律を制定した。

投資企業がどっと押し寄せたが、1997年半ばのアジア経済危機の始まりと同時にブームは終わった。ラオスの海外投資額は、1997年の3億7970万米ドル(約500億円)から1999年には5100万米ドル(約66億円)にまで落ち込んだ。

この埋め合わせのために、政府は巨額の灌漑プログラムを開始し、中央銀行だけで2400万米ドル(約31億円)を投資した。このプログラムによって米の自給化には成功したものの、結果としてラオスの債務残高は急増した。インフレ率は120パーセント以上に急上昇し、通貨キープの価値は90パーセント近く下落した。

それ以来、ラオスはインフレ率を一桁にまで戻したが、各銀行は多くの不良債権を抱え、新興企業を資金不足に落とし入れている。

この間隙を埋めるようと、ラオス政府は海外からの投資をひきつけるのに必死である。国家計画協力委員会の副議長であるKhempeng Pholsena女史は、最近シンガポールで開かれた投資セミナーの席で、ラオスは「極めて魅力的な条件を備えて」いるのだから、海外の投資企業に来てほしいと語った。同女史や他の政府関係者は、この記事についてのインタビューには応じなかった。

水力発電も含めた天然資源以外には、ラオスにはほとんど何もないと言ってよい。国内市場は小さく、舗装道路や電気は未整備である。投資企業にとってさらにやっかいなことには、英語を話しビジネスを理解する政府関係者はほとんどいない。

その一方で、お役所仕事には事欠かない。政府は最近になってようやく、全ての海外投資にはどんな小規模でも首相の承認がいるという規則を撤廃した。それでも政府の承認を得るには、通常1年以上かかる。ラオス政府はこうした問題を率直に認めており、例えば、政府関係者を教育したり、官僚的な障害を取り除く政令を発布することで、対処中であると言う。事情の分かった現地の人間を雇い入れることで、企業の仕事は軽減される。

Oxiana社の場合、セポンからほど遠くない地で育ったSaman Aneka氏がその役を務める。現在47歳の彼の脳裏には、10代の頃見たアメリカ軍の爆撃機による空爆の記憶が焼きついている。Saman氏はソビエト連邦で地質学を学び、短期間政府で義務役を果たした後、1990年にオーストラリアの鉱山会社CRAに入社してセポンの調査を行なった。

セポンの近くに住む人々には、この地域は古くからMuang Ang Kham、すなわち「金の渓谷の地」として知られてきた。80年代初期、ソ連の地質学者たちは、ここでラオス人が爆弾の破片や戦闘機の残骸を用いて砂金を採っているのを目撃した。

「CRAは以前からこの地域の可能性に目を付けていたが、実際に税金と採掘権をめぐってラオス政府と合意に達するまで交渉に2年以上を費やした」と語ったのは、当時CRAラオスのお抱え弁護士だったオーストラリア人のRobert Maloney氏である。ラオスには鉱業に関する法律がなく、政府関係者は鉱業というものについてもほとんど知らなかった。Maloney氏は、「仕事の大部分は、事業のリスクと利益が何か、説明することだったよ」と言う。氏は多くの投資企業からも訪問を受けたが、全部が信頼できるわけではなかった。ラオスで活動している鉱業会社がCRAだけでなかったことが幸いした。当時、Newmont Mining社も北ラオスでの金鉱開発の契約交渉を行っており、1993年に話しがまとまった。

ほんの数週間後、今度はCRAがセポン周辺の1930平方マイル(約750平方キロメートル)の独占採掘権を付与する契約を勝ち取った。

しかしCRA調査団が現地に到着した後も、マラリアなどの病気のために作業が遅れた、とCRAに雇われてセポンにやって来て、現在ではOxiana社で働いているAntony Manini氏は語る。不発弾を避けるために、調査団はどこに行くにも金属探知機を装備していた。

爆弾には棚からぼた餅の効果もあった。1995年のある日、Saman氏他2名の地質学者は、戦争が作り上げた岩場で金鉱脈を偶然発見した。3人が冗談交じりに「爆弾クレーター地質」と名付けたこの場所は、後にセポンでも最大級の金鉱であることが分かった。

結局Newmont社が少量の金しか採掘できずにラオスから撤退した一方で、Oxiana社は足元に350万オンス(約108トン)もの金が埋まっていると見積もっている。これは、現在の市場価格で10億米ドル(約1300億円)以上に相当する。

しかし、Wilkes氏が最も興奮したのは、銅鉱の存在だった。「すばらしく良質の銅だ」と彼は語る。CRAがイギリスのRTZとの合併によって1995年にできたのがRio Tinto社で、同社が1998年にセポンの銅を発見した。

セポンの資源は豊富だったが、Rio Tinto社は手間をかけるには小規模すぎると判断した。しかし、Rio Tinto社の元役員であり、Oxiana社設立に参加するため同社を退社したOwen L. Hegarty氏は、セポンを高く評価していた。2000年に入りHegarty氏は、Oxiana社がRio Tinto社のこれまでのプロジェクト開発に対して約2200万米ドル(約29億円)を支払い、見返りにOxina社がプロジェクトの株式の80パーセントを得るという取り引きを成立させた。

世界銀行グループの民間投資支援部門である国際金融公社(IFC)は、すでにOxiana社に対して、4600万米ドル(約60億円)と見積もられている金鉱開発資金の内3000万米ドル(約39億円)を融資することに合意している。Oxiana社は金鉱開発で得られた利益を、1億米ドル(約130億円)に上る銅鉱開発に投じる計画だ。

ベトナム政府関係者は、おそらくセポン鉱山がこの地域の他の開発プロジェクトを促進すると語っている。鉱山開発は電力を必要とし、そのため近くに水力発電ダムを建設する計画がある。銅はトラックで運び出される。そこで、タイからラオスを通りベトナムに至る2車線の高速道路がすでに建設中である。見返りとして、ラオス政府はOxiana社に対し2年間の法人税免除と、従業員の所得税免除を決めた。さらに機材輸入の関税を免除するほか、搬入の際の国境での長い待ち時間を避けるために税関職員を雇って現地に常駐させておくことも認めた。引き換えに、ラオス政府は発掘された鉱石の価値の2.5パーセントにあたるロイヤリティを徴収し、2年間の免税期間後にはOxiana社の法人税も収入となる。さらに鉱山の株式の10パーセントを購入するオプション(購入権)も得ることになっている。

Oxiana社は、また、毎年100人以上の人命を奪っている不発弾の処理について、政府の協力を得ることになっている。これは労力のいる作業だ。作業員は、地下10フィート(約3メートル)まで探査するために強力な金属探知機を用いる。現在まで、1000ポンド(約450キログラム)の爆弾からこぶし大の対人兵器まで約2000の爆発物が発見された。

Oxiana社は不発弾問題について多くを語ろうとしない。「誤ったメッセージを送ることになる」とWilkes氏は言う。そして、「不発弾があっても、プロジェクトのリスクが高まったり採算性が悪化したりするわけではないのだから」と付け加えた。さらに氏は、「現地を調査してきたこの10年、爆弾で怪我をした者は一人もいないのだ」と言い切った。

(翻訳/福田健治 メコン・ウォッチ)

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