メコン河開発メールサービス 2002年6月14日
世界銀行の融資で完成したタイのパクムンダムは、住民の粘り強く戦略的な運動の結果、昨年6月13日に、環境社会影響を再調査するため水門が開かれました。
魚がよみがえり、漁民の生活が回復し始めたことを誰もが実感した1年。そして、開門して発電を放棄しても全く社会生活への影響がないことも明らかになったのです。パクムンダムがいかに人々を苦しめるだけの無駄なダムだったかが証明されたと言えるでしょう。
しかし政府が定めた水門開放の期限は1年・・・。6月13日が再びやってきました。現地の人たちは、この無駄なダムを永久に放棄して、川と住民と魚とが一緒に生きるムン川を取り戻そうと、新たな闘いを静かに進めています。
現地で3年間、パクムンダムと闘いながら、川との生活を取り戻そうとしている村人たちと活動しているメコン・ウォッチの木口由香の報告です。
環境・社会影響の再調査のため、試験的に水門が開放されていたパクムンダムですが、政府が定めた水門開放の期日は本日をもって終わります。しかし、地域で漁業をする人々を中心に、たった一年の水門解放で大きく回復した自然環境を利用し、生活している流域の人々から開放継続を求める声が高まっています。
政府は継続の有無について、はっきりとした指示は出していません。しかし、現地ではダムを管理するタイ発電公社(EGAT)によって着々と水門閉鎖の作業が行われています。
6月10日には調査結果の中間発表が行われました。その中で、自然環境が回復したことで天然魚や河畔の植物に食料を依存する、いわゆる貧困層の人々の生活が改善されたことが研究者らから報告されました。また、従来からEGATが繰り返し主張している、同地域の電力不足による停電の危険ですが、パクムンダムが発電していなくてもダム周辺5県の電力供給に深刻な影響は及ぼさない、とのデータも明らかにされました。
このような状況下、13日にはパクムンダム建設によって漁業や生業に影響を受けた人々のうち約2000名が、ダムを望む川岸に集まり水門永久開放を求める祈りの儀式を執り行いました。
人々は手に手に花とお供えのろうそくを持って、抗議運動のためにダムサイトを占拠してつくられた「悠久なるムン川の村」から徒歩で川岸まで移動しました。ダム建設後、若年層はほとんど都市に出稼ぎに行っているため、参加者のほとんどは高齢者と、親の出稼ぎのため祖父母と村で暮らす小学生以下の子供たちです。人々は川に向かい、この世の全ての精霊たちに川の回復を祈ったと言います。
住民代表のソムキアットさんは「この1年の水門開放で自然環境は大きく回復した。そして、今はまさに大きな回遊魚がムン川で産卵する時期である。もし今水門を閉めたら、漁民は再びダムが出来た後の貧困に苦しまなくてはならない」と集まった記者らに訴えました。
私の隣にいたおばあさんは、小さな声で「このろうそくが最後まで燃え尽きれば、ダムの水門が永久に開放される」と願をかけていました。その真剣さに思わず、「何もこんな風の強い川岸で・・・」と止めようとしたほどです。ろうそくはあっという間に消えてしまい、彼女は目からあふれる涙をそっとぬぐっていました。しかしそれから、彼女は強い風の中、隣の男性から火をもらい、ふたたびろうそくに火を灯したのです。
「国の発展を阻害する非国民」、「コミュニスト(注:タイで共産党は非合法)」、「海外の環境保護団体の傀儡(かいらい)」、「補償金泥棒」。これらの誹謗中傷にも負けず、パクムンの反対運動がなぜ10年以上も続いているのか、その粘りを垣間見た思いです。
タイ東北部のウボンラチャタニ県を流れるムン川河口近くに建設された、水力発電専用のダム。1994年に完成し発電能力は136メガワットで、首都バンコクの大型デパート5軒分の電力をまかなう程度の規模。だが、実際は計画発電量の半分以下しか発電できていない。現地はもともと、メコン河から回遊する魚が産卵する場所であり、東北タイでも有数の淡水漁業が盛んな地域。しかし、ダム建設によって回遊は遮断され、それらの魚の産卵場所だったゲンと呼ばれる早瀬も破壊され、魚は激減した。回遊魚対策のためダムに敷設された魚道(Fish Ladder)はほとんど効果が確認されていない。また、住民が伝統的に行ってきた自給自足に近い河畔での採取や農業も、ダムの貯水により壊滅的な打撃を受けた。地域の人々は食費のために負債を抱えるようになり都市への移住労働を強いられ、家族は離散状態である。世界銀行はこの事業に対し1991年の理事会で融資を決定。その際、事前に独自の環境影響調査をしていたアメリカの理事をはじめ、ドイツ、オーストラリアが反対、カナダが棄権をしたが、日本の理事は強い賛成の意思を表明したと報道されている。それだけでなく世界銀行は、元々のプロジェクト計画では2万5千人が移転を迫られるはずだったが、社会環境影響を考慮して被害を最小限度にしたと、この事業を前向きに評価さえしている。しかし現実には、漁業被害を受けたとして抗議を続けている住民は一時6000世帯を超え、今でも65ヶ村からの漁民が抗議を続けている。ダムによる移転も、当初は262世帯が対象と言われていたが、実際には912世帯がすでに移転し、更に780世帯が土地の一部もしくは全てを失っている、という調査結果が出ているのである。流域の人々は、自然と自身の生計の回復を求め10年以上も反対運動を続けている。