メコン河開発メールニュース 2002年10月2日
タイのパクムンダムのニュースです。政府の委員会が何の根拠もなく「4か月だけ水門開放」という結果を出したことに、影響住民グループが強く反発しています。以下、メコン・ウォッチの木口由香の翻訳です。
2002年9月26日
プーヂャッカーン紙(タイ字新聞)
首相府前、午前11時。ワニダー・タンティウィタヤーピタック貧民フォーラム顧問に率いられたフォーラムの住民約50名が、タクシン・チナワット首相宛てにパクムンダム問題の解決を求める旨の書簡を提出した。
ワニダーさんによると、2002年9月23日から首相府前に代表を送って政府の解決策を見守っていたという。また、貧民フォーラム問題解決委員会の長であるポンポン・アディレークサン副首相に対して書簡を送り、パクムンダムについて調査を行っているウボンラチャタニ大学と(調査結果を政府に上申する)部会の結果が出るまで、政府決定を待つように要請していた。
しかし、ポンポン委員会は貧民フォーラムの異議申し立てにもかかわらず、本来通年を通して水門開放するべきところを、たった4ヶ月の開放という結果しかださなかった。
ワニダーさんは、政府の対応を聞くためにここにやって来て4日になる。ポンポン氏の委員会を解散し、決定も調査結果が出揃うまで待って欲しいという要請をしているが、いまだにはっきりした答えをもらえない、と言う。
「4ヶ月しか水門を開けず残りの8ヶ月の間住民を断食させる、というポンポン氏に聞きたいのだが、もし給料を4ヶ月しかもらえなかったら、残りの8ヶ月は住民と一緒に食べないで過ごすのか、それとも彼が所有するヨットにかかる経費を持ってきて住民の生活費に当ててくれるのだろうか?」。
ポンポン氏は各地での洪水対策を短期的な問題と捉え、情報を分析して判断を下している。しかし、シリントンダムやパクムダムによって引き起こされた洪水(水没)という長期的な問題には、政府は関心も示さない。
首相が国内外の問題で多忙なことは貧民フォーラムも理解しているが、住民側の問題解決の必要性と困窮に対する主張は変わらない。政府が素早くこの問題を解決することを要求する。もし解決が見られなければ、住民側は生活の糧ともいえる水門開放を死守するため、最後の手段としてダムを占拠することになるだろう、とワニダーさんは語った。
*記者によると、フォーラムの書簡とパクムンダムから影響を受けた10、059人の署名が副官房長官のスティ・ソムブーン氏に手渡された後、住民らは列車で帰宅したという。その際、はっきりした対応が政府から示されなければ、再び座り込みをすると明言していたという。
**パクムンダムはタイ発電公社(EGAT)の事業で、問題を抱える政府プロジェクトである。1990年からという長い間、住民との対立が続き何度も大きなデモが起きている。最近では、2000年から貧民フォーラムがダムを占拠、EGATに発電をさせず、ダムの水門開放を要求していた。その後内閣は打開策として、水門の永久開放の可否を決断するための影響の調査を決め、EGATに水門開放を命じていた。