メコン河開発メールニュース10月29日
現地1年3か月にわたってダムの水門開放が続くタイのパクムンダム(世界銀行の融資で1994年に完成)。政府の「年間4か月だけの水門開放」決定により、近々水門が閉まることが懸念されています。水門開放を続けさせたい住民、それを阻止する当局・・・現地の緊張が高まっています。
以下、現地から木口由香の報告およびタイ字新聞の翻訳です。
ダム周辺は物々しい雰囲気で、地域住民も観光客も通過できません。今まではダム上部は橋として利用されてきていました。外から見ると、ダムの上にいくつも関門のように背の高い鉄柵が新たに取り付けられたのが見えました。再び住民に占拠されることを恐れての措置かと思われます。住民側の話では、EGATがある村の人々を雇い入れてダムを守らせているとのことです。
洪水は収まっていました。町にはあちらこちらに増水した後が残っています。ムン川の流れは非常に速く、水位も高いです。稲刈りが始まった時期でもあり、漁をしている人はほとんど見られません。
現地では、ポンポン副首相がワニダーさんを中傷したタイラット紙の記事が拡大コピーされ、「怪文書」として村々に配られています。また、「住民リーダーを殺害すれば運動が鎮まる」とか「首相が、一人一人ごぼう抜きにして逮捕すればいいと言った」という噂が流れおり、緊張が高まっています。その中での焼き討ち事件。
10月19日カオソット紙
タイ発電公社(EGAT)に雇われた男たちが再びメームンマンユン(悠久なるムン川)村を焼き討ちした。かつて2000年11月17日(注:19日の間違い)に300軒が焼かれている。EGATは約100人の男たちを雇い入れたうえ、10月1日からダムの上を通行止めにし、シリントン郡とコンヂアム郡を行き来する付近の住民に不便を強いている。その上、11月1日から水門を閉めるのは確実でかつ正当だという文書を配っている。
17日午後7時、貧民フォーラム顧問ソムパーン・クーンディさんが明らかにしたところによると、同日午後6時ごろ、2人の男がメームン村とパクムンダムの境である鉄の柵をひそかに乗り越え、シリントン郡フアイナムサイ村の住民の生活する小屋に火をかけた。小屋は20人が生活できる大きなものであった。火は茅葺の屋根に移ったが、湿度が高かったため火の勢いは弱く、気がついた住民が消火にあたり周辺に燃え広がる前に消し止められた。この小屋の持ち主が留守であったため、けが人などはなかった。男たちは火をつけると、魚道をつたってダムへ逃げ込んだ。
事件後、住民リーダーのプラポン・シンゲオさんは村の警備を担当する住民と会議を持ち、外部の侵入者を警戒し、持ち主が留守の小屋で再び事件が起きないよう注意するよう呼びかけた。また、18日には、今回の事件にどのように対処するか話し合う全体会議がもたれることとなった。同様な事件は2000年の11月17日にも起きている。EGATがダムの警備と称して雇い入れた男たちが、手勢を率いて約300軒の小屋を焼いたのである。住民側は今回の事件もEGATの雇った男たちの仕業だと見ている。
記者によると、10月1日からEGATはダムの上を通行止めにしているという。EGATは、ダムの水門を閉めるために修理していると主張している。また、1日からシリントン郡チャート村の男たち約100名を雇い、ダムの警備に当たらせている。通行止めのため、シリントン郡とコンヂアム郡を行き来する住民に不便を強いている。
8日、EGAT技術者スウィット・プーンヴィエンシー名のEGAT.G4600/787の書面で1日の閣議決定の内容がシリントン郡、コンヂアム郡、ピブンマンサハン軍の村長・区長に通達されている。内容は、ヨンユット・ティヤパイラット内閣広報官と首相府付き副広報官が共同で行った記者発表にあった、貧民フォーラム問題解決委員会第17項。パクムンダムについて、7月1日から10月31日までの4ヶ月間水門を開放し、残りの期間11月1日から6月30日まで水門を閉鎖する、というもの。また、EGATと漁業局や関係機関に対し、結果を追跡するようにと指示を出している。