メニューを飛ばして本文へ移動。

    English site

[メコン・ウォッチ]

ホーム | お問い合わせ | メールニュース登録 | ご支援のお願い


イベント | メコン河とは? | 活動紹介 | 追跡事業一覧 | 資料・出版物 | ギャラリー | メコン・ウォッチについて

ホーム > 資料・出版物 > メールニュース

パクムンダム>首相が影響住民から意見聴取

メコン河開発メールニュース 2002年12月21日


世界銀行が融資して94年に完成したタイのパクムンダム。事実上のダム撤去になる「水門永久開放」を掲げて、被害住民たちはダム完成8年を経た今でも、現地と首都バンコクで活発な運動を繰り広げています。

そして、今、政府が何の根拠もなく決めた「年間4か月だけの水門開放」を永久開放にするための重大な局面にあります。ここ2週間くらい、タイの新聞は連日パクムンダムのニュースを大きく報じています。首相府前の抗議村テントや現地の抗議村が何者かに相次いで襲撃された一方で、タクシン首相が襲撃された首相府前の抗議村を訪れ、影響住民から直接話を聞くことを提案するなど、大きく動いています。しかし、大概の交渉事と同じように、それは必ずしも住民にとって良い知らせとばかりは言えません。

以下、12月20日に開かれた「タクシン首相が影響住民の意見を聞く会」やその前後の動きについて、タイの木口由香(メコン・ウォッチ)の現地報告です。


本日20日、タクシン首相はパクムンダムの住民から意見聴取を行う会を開きました。結果、今日は結論を出さず、火曜日にヘリコプターでの現地視察を決定、ダムの水門を開いてゲン(早瀬)を水上に出すように指示しました。現在、ダムの水門は開いているそうです。

当初、「NGOではなく、本物の影響住民から話を直接聞く」と首相が主張。その後何日にもわたって、パクムンの住民運動が「海外から資金提供を受けている良からぬNGOに扇動されている」との発言を繰り返したため、住民側は参加を拒否する方向でした。

しかし、NGOやNGO出身の上院議員、学識経験者から首相批判が続出、メディアもそれらの意見を大きく取り上げました。世論が住民側についたこと、住民側も「NGOに扇動されている運動」という見方を払拭したいと考えたため、最終的には首相と住民代表が直接話し合うことで合意にいたりました。

会ではまず、ダムを運営するタイ発電公社、政府の水門解放影響調査を行ったウボンラチャタニ大学、住民が東南アジア河川ネットワークとの協力で行った住民による調査、ダム建設後に地域調査を行っていたコンケン大学、水門解放後に発電公社の委託で調査を行っていた科学技術研究所、上院のNGO調査委員会がそれぞれの結果を発表しました。

この中でタイ発電公社は、パクムンダムが発電しなくても東北タイの電力供給に2004年までは影響がないこと、6年後には北部と東北部をつなぐ送電線が強化されるので、その後は東北内部で発電量が足りなくとも停電の心配がないことを明らかにしました。(この情報は、上院の住民参画委員会の諮問結果として昨日から報道されていました)尚、パクムンダムの借款は、まだ約40億バーツ残っているそうですが、公社総裁は民間銀行からの借款だと明言していました。(世銀の分はどうなったのでしょう?)

住民とウボン大学の調査は、水門開放が最良の選択肢という結果を明らかにしましたが、コンケン大学と科学技術研究所の結果は、そのほぼ逆、ダムが地域を発展させているというものです。

最後の上院調査委員会が一番の驚きでした。パクムンダムをケーススタディとして取り上げた世界ダム委員会の調査を、アメリカのNGO、国際河川ネットワーク(IRN)の「反ダム活動」と位置づけ、国内の同調者がタイの国家発展を妨げている、という内容。詳細は語られませんでしたが、「後ほど詳しい報告書が政府に提出される」、とのことでした。話し合いにいたるまでの首相の発言は、この報告書から来ているのか、と思わせるような内容でした。

約3時間かけて説明が終わった後、1時間以上首相と住民は直接対話を繰り広げました。当初、首相は住民がいくら補償金をもらっているか、に的を絞って話を進めようとしまているように見えました。しかし、住民側は、一時的に大きな金額をもらったように見えるが、土地の購入や家の再建には不十分なくらいであったと正確に答え、この問題でつまずくようなことはありませんでした。(補償は激しい住民運動の後に勝ち取ったもので、最初からプロジェクトで用意されていたものではありません)その後、農業協同組合の話などにそれまはしたが、住民側は首相の弁舌とほぼ対等に自分たちの主張を繰り広げました。

最終的にタクシン首相は、その場で電子手帳でスケジュールをチェック、火曜日の閣議を休んで現地視察をすることを決めました。住民が、今行っても水門が閉まっていて、川の本来の姿が見られないと主張すると、その場でエネルギー省大臣に水門開放を命じました。そのため、現在水門が開いています。急に水位が下がっても住民被害はでます。流域住民の人たちがテレビの前で5時間近く辛抱強く成り行きを見守っていたことを祈るのみです。

以下は話し合いを受けることを決めた際の、貧民フォーラムのプレスリリースです。


住民参加型かつ持続的に問題解決をするためには、豊かな自然資源への考慮が必要

12月18日の貧民フォーラムプレスリリース

12月20日、パクムンダムを巡る問題について首相と住民が話し合う件に関連し、貧民フォーラムは、ダムが完成してから10年間、ムン川の魚類が減少し地域の漁業が生業として成立せず、地域社会が崩壊したことを主張します。その上、パクムンダムは何の利益をももたらさなかったのです。

現政権はタイ発電公社に対し、年間を通した水門開放を命じました。これによって住民は多くの魚を獲ることができ、水門解放後に確認された魚類は156種にも及びました。また、77種の漁具も使用されています。そして、川岸を利用した農業・牛や水牛の飼育、そのほか自然と共にあるたくさんの生業が戻りました。

これらのことから、パクムンダム建設によって引き起こされた問題の解決には、豊かな自然資源があることと、住民がそれにアクセスし活用することが必要であるといえます。特に、ムン川で魚が増えるためには、各方面が魚の生活史の循環を理解する必要があります。魚の生活はムン川の上昇・下降サイクルと同調しており、次の4つの季節に分かれています。

  1. 赤い水*の時期、これは5月から8月をさします。メコン河からの魚が遡上してムン川の中で交尾し産卵するための場所を探しに回遊してきます。(*訳注:水が濁る季節。メコン流域ではラテライトの赤土が広がっているため、土が水に溶けると赤くなる)
  2. 氾濫期、これは9月から10月で魚が成育する時期です。
  3. 減水期、11月から12月で魚は淵に移動します。
  4. 乾季は1月から4月。魚は淵にいます。

村人の使用する漁具は様々でそれぞれの季節によって違います。また、川岸での農業や牛・水牛の放牧や様々な生業もムン川の循環と同調しており、自然資源に依存しているのです。

首相とパクムン住民が話し合う際、両者は対等で、かつ心を開いて共に問題解決に当たらなくてはなりません。そうすれば「自然・生態環境の回復と地域社会の生活が持続的なものであるためにはどうすべきか」という解決への糸口を探すことができるでしょう。私たち貧民フォーラムは、自らの生活に起こった経験から、パクムンダムの水門永久開放が最良の具体的な策であると総括しています。

2002年12月20日、貧民フォーラムに属するパクムンダム影響住民30名は首相府での政府主催討論会に必ず出席します。19日には代表の名前を正式に政府にお届けします。

国民の力を信じて

貧民フォーラム

2002年12月18日首相府前メームンマンユーン村(悠久なるムン川の村)

このページの先頭へ

サイトマップ
特定非営利活動法人 メコン・ウォッチ
〒110-0016 東京都台東区台東1-12-11 青木ビル3F(地図
電話:03-3832-5034 Fax:03-3832-5039 
info@mekongwatch.org
© Mekong Watch. All rights reserved.