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メコン河開発メールニュース 2004年5月29日
先月、イギリスの新聞にメコン河、特にカンボジアのトンレサップ湖の魚についての長文の記事が掲載されました。中国の問題が中心で、トンレサップ湖で行われている開発の影響については言及されていません。
以下、メコン・ウォッチ(バンコク)の土井利幸の翻訳です。
英国『インディペンデント』紙
2004年4月21日
おおいなるメコン河が干上がれば、河の豊かな恵みも消える。問題は、中国が新規に建設する多数のダムのせいなのか。フレッド・ピアースによるカンボジアからの報告。
かつて世界中の河には魚があふれていた。もはやその面影はない。ダムをはじめとする河川工学上の構造物のせいで、地球上の内陸部の魚類はそのほとんどが劇的に減少させられてしまった。ところが東南アジアで「メコン」と呼ばれる大河は、半世紀にわたる戦乱のおかげでダム屋たちを寄付けなかった。その結果、カンボジアのような国に住む最も貧しい人々でさえ、いつも天然の魚を食べることができるのだ。
しかし今ではこの河にも技師たちがやって来て、すでにその影響があらわれている。科学者たちは、中国があらたに建設する水力発電所のせいで今春メコン河の水位が記録的に低下し、河の水が異常に上下し、とりわけ漁獲高が激減したと言う。これで世界に残された数少ない自由に流れる大河の命運も尽きるのだろうか。
メコン河は全長4,500キロ(2,800マイル)を誇り、チベットの凍てつく高原から中国南部雲南省に連なる山々を縫うように流れ、タイ、ラオス、カンボジアの氾濫源を満たし、ベトナムの三角州を通って海にたどり着く。その流れは季節によって大きく変化し、乾季と比べるとモンスーンの季節には30倍もの水であふれる。
この水量差があまりにも大きいため、カンボジアでは水にあふれたメコン河が支流の一つトンレサップ川の水を6月から9月にかけて逆流させる。この独特の光景はプノンペンの王宮の目と鼻の先でも見られ、トンレサップ川の流れはそこから200キロ上流にあるアンコール・ワット遺跡の近くに巨大な湖を現出させる。あふれんばかりの水はここにたまり、森林を包みこむ。
栄養分を含んだ土壌とともに稚魚や小魚が水流に乗って森にたどり着くと、森は魚たちにとって広大で豊かな生育の場と化す。これが世界最大級の内陸漁場の誕生の仕組みである。
ここで垣間見られるのが、成長すると体長3メートルを越え牛をもしのぐ体重を持つ世界最大の淡水魚「メコン大ナマズ」の最後の姿である。また、「縞スネークヘッド」は木々の根の間や湖沼に生息し、地面をはって水のあるところへ移動することで知られている。カンボジアに住む何百万人もの人々にとってさらに貴重なのは、トンレサップ湖のほとんどどこで網を投げてもつかまる、鰯(いわし)に似た「トレイ・リエル」(学名「ヘニコリンクス・シアメンシス」)という魚が、水に浸かった森林を繁殖場所としている点である。【2】
毎年秋になって森林からゆっくりと水が引くと、丸々と太った魚たちはメコン河のあちらこちらに回遊する。地元の漁師の多くは水上家屋に住んでいるが、いつ魚たちが通過するかをほぼ時間単位で知っている。トンレサップ湖の満水のピークは毎年1月の満月の日からさかのぼってきっかり10日前にあたる。
トンレサップ湖の漁業の密度の濃さは特筆に価する。氾濫源に沿って何キロにもわたって網が仕掛けられる。プノンペンの近くの川で蔓製の小さな「籠」を使えば20分で500キロもの魚が獲れる。
メコン河の下流域にあたるカンボジア、ベトナム、ラオス、タイでは、およそ5000万人の人々が食物や収入を河から得ている。カンボジアだけを見ても、年間約200万トンの漁獲高があり、天然のたんぱく質への依存度は世界でほぼ第一位にあたる。
ところが科学者たちに言わせれば、メコン河の漁業は豊漁ではあるが決して乱獲ではない。現在の漁業は持続可能だ、と言うのだ。ただし、これは洪水の周期が守られての話だ。そして今やこの条件がゆらぎつつあるのだ。
11月に私は、世界魚類センター(the World Fish Centre)でメコン河の調査を行なっているエリック・バラン氏とトンレサップ湖をまわってみた。世界魚類センターは食の安全保障と貧困撲滅について研究する国際機関である。バラン氏は、メコン河の流量が減ることで漁獲高も減少し、河は危機的な状態にある、と語った。私たちが出会った漁師たちも同じことを言っていた。魚の取れ具合は過去最悪で、漁師たちはみんなこれを昨年(2003年)の夏以来の水位低下のせいだとしている。空(から)の網を提げて水上家屋への帰途を急ぐある漁師は、私たちに向かって「王宮前の水位が低い時は、魚はいないんだよ」、と語った。
プノンペンにある大規模魚市場での卸のために川沿いで魚の買付けをしているNguyn Van Xia氏によると、水揚げが悪くて魚の値段は普段の三倍もするそうだ。
プノンペンに本部のある国際調査機関メコン河委員会(MRC)の今年(2004年)の報告でも、11月から3月にかけての漁獲高は例年の半分しかなかった。そして魚の値段が上がれば、お金のない人々は空腹をかかえるしかない。
危機的状況はメコン河のあちらこちらで顕在化している。三ヶ月間も水位が下がったために、水面下にあった砂洲が姿を現してフェリーが乗り上げてしまった。メコン河にも生息する希少種の「イラワジ川イルカ」も水たまりの中に取残された格好だ。
去年のモンスーン季に雨が少なかったことも原因ではある。しかし、中国政府が正式加盟を拒んでいるメコン河委員会では、中国がメコン河上流に建設しているダムにも疑いの目を向けている。先月召集された緊急会合では、委員会が中国政府にダム運転に関する重要な情報を公開するよう要請した。
中国政府はこれまでメコン河本流に二基の大型ダムを建設した。一基目の漫湾ダムは11年前に完成し、貯水の時期が下流の異常低水位と重なった。二基目の大朝山ダムが完成したのは昨年である。「二つのダムが低水位の原因だという仮説もある」、とメコン河委員会のSurachai Sasisuwan水資源部長は語る。
中国からメコン河に流れ込む水は毎年の総水量の20パーセントにすぎないのだからダムに原因を求めることはできない、とする人々もいる。しかしこの数字は乾季では50ないし70パーセントにはね上がる。そしてダムは日毎の水流にはっきりとその影響をあらわすのだ。
これらのダムはすべて水力発電を行なって中国の経済発展を後押ししている。刻々と変化する需要にあわせて発電機のスイッチを切ったり入れたりするたびに貯水池の水が増減し、下流では河の水位が日に1メートルも上下する。「ダムの運転が始まってからというもの、河の水位の上下変動がとても早くなった」、と語るのはメコン河委員会に勤務する科学者の一人Hans Guttman氏である。
メコン河の漁業の将来を考える際に、おそらくさらに重要な意味を持つのは河が栄養分を含んだ土壌を運ぶ点である。フィンランドのヘルシンキ工科大学でメコン河の水の流れなどをモデル化しているMatti Kummu氏によれば、自然な状態でメコン河が毎年運ぶ土壌の最大半分は中国から流れ込むが、それが新規に建設されるダムによってどんどん堰き止められているという。Kummu氏は、土壌の大半がモンスーンの起す洪水に乗って移動し、メコン河の豊かな漁場、なかんずくトンレサップ湖の魚たちとって決定的な意味を持っている、と考えている。
これはある意味で皮肉なことだ。というのも大洪水はたいていの場合災厄だと思われてきたからだ。一番最近に完成したダムの貯水が終わってからも連日のダムの運転が悪影響を及ぼしつづけている可能性は高い。中国の河川工学の専門家たちに言わせれば、ダムを運転することで恒例の洪水が減り、乾季の水量増も期待できる。ところが増減を繰返す水がメコン河の生態系を支える血脈であり、それが弱まることこそが魚類の研究を専門とする人々にとっては大きな心配のたねなのである。「河川工学の専門家たちは大きな洪水を厄介者扱いにするが、アジアではそうした洪水は恵みなのだ。なぜなら洪水によって自然の生態系が機能し、その生態系に何百万人もの人々が依存して食物を得ているからだ」、といっしょにいたバラン氏は語る。Guttman氏も同意見だ。「洪水と魚の回遊の間には密接な関係がある」、とGuttman氏は説明する。「洪水を抑えようとすれば、メコン河の生態系に甚大な影響が現れるだろう」。
悪夢のようなお話しとしては、洪水がおさまってしまったあまり、トンレサップ湖でモンスーン季に川の水が逆流しなくなる可能性もある。そうなると、メコン河流域で魚が繁殖する重要な場所も干上がってしまう。
メコン河をめぐる争いは加速している。河川工学の専門家たちの目には、メコン河が世界に残る数少ない未開拓の大水力発電源かつ東南アジア工業化のための発電所建設候補地に映る。中国ではさらに二基のダムの建設が始まっており、少なくともあと四基のダムが計画されている。中でも最大の小湾ダムの工事は2002年に開始されたが、川面にそびえる300メートルの壁と長さ150キロに及ぶ貯水池で、他のダムはおもちゃにように見える。
メコン河委員会で魚類調査の責任者をつとめるChris Barlow氏には、こうしたやり方は非常に近くをしか見ていないように思えるらしい。「頭を使って管理すれば、魚は永遠に存在する」、とBarlow氏は述べる。「しかしダムは短命で、たかだか30年の命だ。たとえダムを撤去しても、魚は未来永劫帰って来ないかも知れない」。
Barlow氏曰く、政府というものは豊富なエネルギーの夢に惑わされやすい。しかしメコン河の魚は流域に住む何百万人もの人々にとって貴重な食物源であり、中でも最貧困層の人々にとっては不可欠の現金収入源なのだ。「魚がいなくなったら、こうした人々に残された道はプノンペンの繊維工場で一日中働くことだろう」、と氏は語った。豊饒の網か満員の工場か、それが選択肢だ。
訳注
【1】原題は、Where have all the fish gone?米国のベトナム反戦運動で愛唱されたモダン・フォークソングWhere have all the flowers gone?(邦題「花はどこへ行ったの」)のもじり。
【2】「縞スネークヘッド」は、アジア一帯に分布する鰌(どじょう)や雷魚の仲間。大きいものでは体長80センチにもなる。「トレイ・リエル」は、メコン河やタイのチャオプラヤ川流域に生息する体調20センチほどの魚。外見は鮒(ふな)に似ており、雨期に大群となって氾濫原へ移動することが知られている。この段落に登場する魚や、そのメコン河での生態についてはメコン河委員会(MRC)のサイトに詳しい(英語のみ)。
この記事の英語原文は、