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カンボジア国道1号線(ADB融資)>被害住民がアジア開発銀行に異議申立て!(2)

メコン河開発メールニュース2008年1月15日

2007年7月、アジア開発銀行(ADB)が融資したカンボジアの道路改修事業で立ち退きにあった住民63世帯が、悪化した生活の回復を求めてADBのアカウンタビリティー・メカニズムに異議を申し立てたことは、先のメールニュースでお伝えした通りです。ADBの融資決定後9年の今に至っても住民が生活を回復できないことで、「立ち退き住民の生活を悪化させてはならない」と自ら謳った住民移転政策をADBがないがしろにした責任がますます明らかになってきています。

第二回目の今回は、異議申立てに加わったある家族(Jさん一家)の証言を紹介し、解説を付しました。大規模開発事業にともなう住民立ち退きがJさん一家のようにささやかな生活を営む人びとに大きな打撃を与えることを理解していただければと思います。

被害住民がアジア開発銀行(ADB)に異議申立て!
カンボジア国道1号線改修事業(ADB融資区間)に対するADBと日本政府の説明責任のゆくえ(その2)

2008年1月14日

【Jさんの証言】

私たち夫婦は五人家族でこの移転村に住んでいます。子どもが三人います。改修工事が始まるまで、国道1号線の南側沿いに住んでいました。私はリヤカーを馬に引かせて荷物運びをし、日収は多い時で5ドルか6ドルでした。妻はサトウキビを売って、日に1ドルぐらい稼いでいました。生活費に子どもの養育費やリヤカーの整備費用を加えて、一日平均2ドル半ぐらい使っていたと思います。

2000年に、もともと住んでいたところから立ち退くように言われて、その時200ドルほどの補償金をもらいましたが、これは取り壊した家屋を再建するのに必要な額の半分以下でした。土地への補償はいっさい受け取っていません。
住む土地がないので、土地を借りて住むことにしました。借り賃は月12ドルほどです。引越しには400ドルから500ドルほどかかりました。お金が足りなくなったので2001年に250ドルの借金をしました。利子は月に10%でした。

ところが借りていた土地の持ち主が土地を売り払うことになって、また立ち退かなくてはならなくなりました。今度も月12ドルほどで土地を借りました。引越しには50ドルほどかかりました。お金が足りなくなったので、今度は近所の人から月3%の利子で50ドルほど借金をしました。

2003年になって、借地料を節約するために、もと住んでいたところの近くに戻ることにしました。そこに住んでいる人に頼みこんで、裏手に住まわせてもらえるようになったのです。この時の引越しにも30ドルほどかかりました。

2006年になって、ようやくこの移転村に土地がもらえることになりました。残りの補償金230ドルも受け取って、ほかに生活再建費として300ドルもらいました。今度の引越しには25ドルかかりました。でも、手持ちのお金が十分でなくなったので、2007年に親戚から100ドル借りました。利子は10%です。それから、姉が担保を肩代わりしてくれて、小規模金融からも150ドル借りました。
こちらは利子が月3%です。

借金を返すためにリヤカーと馬は売り払ってしまいました。今は建設現場で労働者として働いています。妻は病気がちで仕事がありません。日収が2ドル半に落ち込んでも生活費は依然として一日2ドル半ほどかかります。立ち退き前には借金などしたことがありませんでした。利子や元本の一部を返済しましたが、それでも500ドルほど借金が残っています。

この移転村の土地は私たちのものだと認める書類をコミューンの代表者が発行してくれました。でも、これは正式な土地の権利書ではありません。安心してここに住むためにも正式な権利書をもらいたいと思っています。生活を安定させるためには借金を返済するための現金も必要です。

注1:この証言は2007年8月、メコン・ウォッチがカンボジアのNGOと協力して実施した住民への聞き取り調査に基づいて作成した。
注2:聞き取りでは貨幣単位にドルと現地通貨リエルを併用しているが、ここではドルに統一した。なお、「ドル」はすべて米ドルである。


【解説】

ADBが融資する開発事業で住民立ち退きが不可避な場合、住民への被害を最小限にくいとめるために、「補償金の支払いは同等の家屋が再建できる再取得価格で計算する」、「『違法居住者』であることが立ち退き補償を受ける妨げにはならない」、「立ち退き後の住民の生活水準が立ち退き前と比べて悪化してはならない」、など重要な原則がADBの非自発的住民移転政策の中に謳われています。こうした原則に加えて、国道1号線改修事業では、それまで土地権利書を持っていなかった住民にも移転先の土地権利書が無料で発行される措置が取られることになっていました。

ところが、こうした「約束」が守られなかったために、たくさんの沿線住民がJさん一家と同じようなつらい体験をすることになりました。Jさん一家はそれまで住んでいた土地を失い、土地を求めて引越しをくりかえし、生計手段であるリヤカーや馬を手放し、借金だけがかさんでいきました。十分な担保を持たないJさん一家は商業銀行から融資を受けることは難しく、月10%以上もの利子が付く借金をせざるを得ませんでした。記憶だけに頼っている部分もあるので、個々の金額の正確さについては検証する必要もあるかも知れません。しかし、だいたいにおいてJさん一家の身に起こったことはこの証言の中に描かれています。カンボジアのNGOがADBに働きかけて、2006年にようやく移転村に土
地をもらい、住宅家屋への補償も満額もらえるようになりましたが、生活再建までの道のりは平坦ではありません。

異議を申し立てた63世帯の住民の大半もJさん一家と似た体験をしています。お金がないために子どもを退学させて家業を手伝わせている家庭もあります。そういう時には親はまず女の子を退学させます。63世帯の多くは元の生活水準どころか、借金の催促におびえ、建設現場の日雇い労働や廃品回収などによる不安定な現金収入できびしい生活を続けています。

こうした住民の窮状は、国道1号線事業における住民移転計画の失敗の結果であり、そこに住民たちがADBの責任を問う理由があります。Jさん一家の証言は住民移転の難しさを物語っています。立ち退きを迫られる時に住民がきちんと再取得価格での補償を受けられることが、移転後の住民の生活を悪化させない最低限の条件であると言えるでしょう。

(文責 土井利幸/メコン・ウォッチ)

<カンボジア国道1号線改修事業(ADB融資区間)とは?>

カンボジアの首都プノンペンとベトナム南部の商業都市ホーチミン市を結ぶ幹線道路のうち、メコン河との交差地点から東方ベトナム国境までの105.5キロ区間を整備する開発事業で、1998年にアジア開発銀行(ADB)が4,000万ドルの融資を決定しました。道路の改修拡幅工事にともない約1,200世帯(6,000人)の沿線住民が立ち退きなどの対象となりましたが、当初から土地や家屋への補償がほとんど支給されないなど深刻な問題が発生しました。カンボジアのNGOの要請でADBは2004年にようやく実態調査を実施し、カンボジア政府に問題の 解決を働きかけました。しかし、その後も被害住民から、「移転先で仕事がうまくいかず収入が激減した」、「補償の遅れでかさんだ借金が返せない」など窮状を訴える声が絶えず、2007年7月には二つの被害住民グループ(63世帯) がADBのアカウンタビリティー・メカニズムに正式な異議申立て書を提出しました。なお、同じ幹線道路のプノンペン−メコン河渡河地点間も日本政府の無償資金協力によって改修が進んでいます。
カンボジア国道1号線改修事業(ADB融資区間)のサイトを合わせてご覧下さい。)

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