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メコン河開発メールニュース2008年3月6日
メコン・ウォッチでは2000年からパクムンダムの問題に取り組み、調査研究やその結果を地元に還元をする事業を継続して行ってきました。
2月24日のメコン開発メールニュースでご報告したように、昨年、ダムの水門開放は大幅に遅れました。この問題を環境や流域の問題として捉えるようタイ社会にアピールして欲しいという現地からの要請で、メコン・ウォッチの木口由香が日本語で執筆した原稿を、タイ、チュラロンコン大学政治学部講師ヴィエンラット・ネティポーさんの協力でタイ語に翻訳し、タイ字紙マティチョンに投稿しました。以下はその日本語版です。
メコン・ウォッチ
2007年7月22日マティチョン紙掲載
飢える貧民の話を聞いて、「パンがなければお菓子を食べればいいのに(Qu'ils mangent de la brioche!)」と言ったとされるのは、有名なマリー・アントワネットだ。実はこの言葉は彼女のものではないそうだが、食べるもののない生活を想像できず、見当違いなことを言い放った貴族がいたことは確かだ。今の時代に生きる私たちも、同じような非情な事を貧しい人々に言い、その苦難に思いを寄せることはない。例えば、パクムンダムの影響住民の人たちに「天然の魚がとれなければ、プラー・ニン(テラピア:タイで一般的な養殖魚)を食べればいいのに」と言い、無関心を続けるのがそれだ。
タイだけではなく、世界中の学者が集まって業績を並べても、メコン河の魚について分かることはそれほど多くない、というと驚かれるだろうか?世界はメコン大ナマズ(プラー・ブック)がメコン河のどこでどう育つかもまだ知らないのである。このような状況で、あるダムが建設前に十分な環境や生態系の調査を行って作られていない、ということは驚くことでも、ましてやタイの科学の遅れや恥だと思う必要はないのである。
パクムンダムプロジェクトでは建設前に環境・生態調査(Environmental and Ecological Investigation :EEI)が2回あり、漁業調査は1981年の2月と4月の数日間という短期で実施された。これを、2001年から2002年に通年で行われたウボンラチャタニ大学の調査と比較すると、興味深いことが分かる。同大学の調査では全部で184種の魚類が確認されたが、各月ごとのデータでは、45−68種の魚しかみられない。データはムン川に毎月同じ魚が「いない」ことを示しており、通年調査を行わなければムン川の魚類の全体像がわからないことが明らかとなったのである。
ムン川流域は熱帯モンスーン気候地帯に位置している。5月中旬から9月まで南西モンスーンが吹き、概ねこの期間が雨季、10月から4月にはほとんど雨が降らない。これに従い、川の水位は大きく変わり、魚も水を求めて移動してゆく。ムン川流域に住む人々は長い時間をかけその環境から学び、魚をとる生活を作り上げてきた。メコン河委員会(Mekong River Commission)の広域調査でも、メコン河中流域の魚が、乾季には本流、雨季には支流という移動を繰り返していることが明らかとなっている。しかし、この知見がまとまったのは2002年のことである。支流に向かう多くの魚はそこで産卵もすると見られている。
ダム建設前の1980年代の調査がムン川の豊かさを捉えられなかったのは、その能力不足ではなく、当時の科学的知見の少なさや時間や資金の制約があったからだろう。ウボンラチャタニ大学は調査とまとめに15ヶ月をかけ、調査予算は1千万バーツであったのだから。
ウボン大学は5年間の水門通年開放を提言した。それが議論される前にタクシン政権が年間4ヶ月開放を決めたことは理解できないが、4ヶ月でも水門が開かれていることはムン川の生態系の維持に大きな役割を担っている。地元では、住民の要望で水門開放の開始が7月から5月に繰り上がった2004年から漁業に従事する住民が増えている。これは、魚類資源の回復を物語っている。
自然は多様であり、限られた時間と予算の中で全てを知ることはできない。自然に手を加えれば影響が出ることは当たり前で、そしてそれは100%予測できない、というのが最近の科学的見解なのだ。科学で分からないことが多いからこそ、地元で日々自然と向き合って暮らす人たちの知見は貴重である。ムン川は、人々の川に関する様々な知恵が集まっているタイでも有数の場所である。
今こそ、「私たちは知らないことの方が多い」という現実を受け入れ、もう一度このダムの影響とあるべき運営の仕方を地域の人々を交えて検討すべきだろう。どのような養殖プロジェクトも、1000種類以上が棲むメコン河流域の自然の魚の再生産力をまねることはできない。仮にできたとしても、一度に何千何万という卵を産む魚と、同じだけの生産量を人工的に生み出すには莫大な費用がかかり実施は不可能なのだ。
また、ムン川に遡上する多くの魚はメコン河にくだり、カンボジアやラオスの貧しい農村で暮らす何千万人もの人々の生きる糧となっている。ムン川で生まれる魚は、パクムンの人々だけでなく、周辺の膨大な数の貧困層に恵みをもたらしている。この事実を冷静に受け止めず近隣国の貧困層に負荷を掛ければ、暮らしの立ち行かなくなった人々が向かう先は、プノンペンやビエンチャンではなく、地域で一番の大都会バンコクであるということに想像力をめぐらす必要がある。アセアンの大国であるタイがイニシアチブをとらなければ、メコン河の生態系とそれを元に暮らす近隣国の貧困層の生活は劣化するばかりである。地球温暖化防止に積極的に取り組む現政権(前スラユット政権を指す)が、人々の生活を支える生物多様性に理解が無いのは不可解だ。温暖化で懸念されている重要な問題の一つは、生物多様性の喪失である。
地元住民は議論なく中止された水門開放を求め、ダムを自力で開けると宣言している。その多くは60歳以上の高齢者である。タイの人々が村人の声に耳を傾け、悲劇を避ける賢明な判断をされることを切に願う。ムン川は、東北タイだけのムン(東北タイの言葉で遺産の意)ではなく、メコン河流域の人々にとっても同様なのである。
(文責 木口由香/メコン・ウォッチ)