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ラオス>著名な社会活動家誘拐される(3) 

メコン河開発メールニュース2013年4月30日

ラオスの著名な社会活動家ソムバット・ソムポーン氏が、車で帰宅途中に何者かに誘拐されてから4ヶ月以上が経ちました。ソムバット氏の行方は未だに分かっていません。9 年前、タイでも、南タイのイスラム系住民などの弁護に力を注いでいた弁護士ソムチャイ・ニーラパイチット氏が誘拐され、行方不明になっています。

2つの失踪事件に関するシンガポールの新聞『ザ・ストレーツ・タイムズ』の記事(原文英語)を日本語訳で紹介します。

また、5月25日(土)、記事に紹介されているソムチャイ弁護士の妻で人権活動家のアンカナ・ニーラパイチット氏をお招きして、2つの政治的強制失踪事件と人権問題について考えるセミナーが東京で開催されます。
http://www.mekongwatch.org/events/lecture01/20130525.html

 

重なる2つの失踪事件

2013年4月18日
Nirmal Ghosh記者『ザ・ストレーツ・タイムズ』インドシナ支局長

バンコク−社会活動の功績に対してマグサイサイ賞を受賞したソムバット・ソムポーン氏を最後に目撃 したのは、冷たくまばたき一つしない防犯カメラの目であった。昨年12月15日の夜のことで、ビエンチャンの通りで、ソムバット氏は謎のSUV 車に乗り込み、連れ去られていった。

彼の失踪後、ラオス政府は彼が誘拐されたことは認めているが、公安組織が彼を連れ去ったことは否定 している。これには広く疑いの目が向けられており、ラオス政府は国際社会の圧力に晒され続けている。

ソムバット氏は、ラオスで最も卓越した国内の市民団体である「住民参加型開発トレーニング・センター(PADTC )」の代表を引退したばかりだった。彼は国際的な開発コミュニティの中でよく知られた人物で、数多くのラオス人の若者にとっての指導者でもあった。

ビエンチャンでは、100日以上前の彼の失踪について、沈黙のカーテンが下ろされている。彼の妻でシ ンガポール人のウン・シュイ・メンさんは、肉体的にも精神的にも憔悴しているが、夫妻が30年以上も暮らしてきたラオスを離れることは今のところ考えていない。

「時々、これは夢、悪夢に違いないと思うことがあります。まだ希望があるから、私はここに留まっているのです」と彼女は言う。

ソムバット氏の失踪の100日目にあたる3月15日は、タイの法律家ソムチャイ・ニーラパイチット氏が2004年3月12日にバンコクで失踪してから、9 周年にあたる日とほぼ重なる。ソムチャイ氏も未だに発見されておらず、ソムバット氏のケースと同様に、まだ生存しているという証拠もない。

人びとの「失踪」は、その失踪者の家族、友人、同僚たちを越えて、恐怖の空気を創り出す。この地域 の強制失踪は、「ありふれた現実であり、今も続いている問題だ」とニューヨークに本部がある独立機関であるヒューマン・ライツ・ウォッチのタイ人研究員Sunai Phasuk氏は言う。

「私にはシュイ・メンさんが今どんな状況に置かれているのか分かります」とソムチャイ氏の妻アンカナ・ニーラパイチットさんは本紙に語った。「感情が乱高下するんです。ある日、夫は生きていると誰から聞かされたかと思うと、次の日には、遺体が見つかったと云われたりして」。しかし、ビエンチャンでは、噂すら聞かれなくなりつつある。

アンカナさんは、強制失踪をなくすために、休むことなく、国際的に活動を行ってきた。彼女の夫の失踪は、タイの裁判所で初めて取り上げられたケースである。しかし、被告人(ほぼ間違いなく警察官である)は未だに特定されることもなく、罰せられてもいない。

そしてソムチャイ氏の所在は不明のままである。彼がバンコクの路上で無理矢理、車に押し込まれたのは8年以上も前(※1)のことだが、当時、彼は紛争状態にある南タイで、治安部隊によって拷問を受けたとされるイスラム系住民を支援していた。

「強制失踪の最大の問題は、遺体がないため、容疑者を殺人罪に問えないことです」とアンカナさんは言う。.

先月インラック・チナワット首相に宛てた公開書簡のなかで、アンカナさんは、昨年タイが国連の強制失踪防止条約を批准し、ソムチャイ氏の家族に750万バーツ(約 2600万円)、家族が行方不明になっている30世帯に、それぞれ50万バーツ(約170万円)が与えられたことを讃えた。南タイは、独立主義者の活動によって、 2004年から混乱状態にある(※2)。

しかし、アンカナさんはこうも書いている。「金銭的な補償は、生き残った家族の心のトラウマと傷を癒すのには十分ではありません。正義を守り、人権侵害が繰り返されないようにすることが重要なのです」。

彼女にはこうしたことができるし、そうするための広い支援を集めることもできる。それは、比較的オープンで民主的なタイにいるからである。

しかし、一党独裁制のラオスでは、ラオス人民革命党が強い支配力を維持している。そして、ソムバット氏の失踪は恐怖を呼びおこした。

「ラオスにおける抑圧はかなり目に見えにくいものです」とビエンチャン在住の匿名希望のアナリストは語る。「その要因の一部は文化的なものです。ラオスの人びとは決して一党独裁国家の正当性に異議を唱えようとはしません。だから、(政府が)露骨に抑制する必要はないのです」。

ソムバット氏は、常に用心していた、と彼を知る人物は語る。ソムバット氏は、人びとのために何かをしようとしていたが、限度を知り、表立って国家に歯向かおうとすることは決してなかった。

昨年10月にビエンチャンで開催されたアジア・ヨーロッパ市民フォーラムが事の発端となったのかもしれない。ソムバット氏は、スイスの開発援助機関Helvetasの代表であったアン=ソフィー・ギンドローツ女史とともに、このイベントのコーディネートに携わっていた。彼は会議の議事進行を立案するために、ラオス政府の役人と緊密に働いていた。しかし、このイベントに対するラオスの市民社会の“ほとんど子どもじみた”熱狂は、驚きとなったのかもしれない。フォーラムの参加者は500人程度と予想されていたが、800人以上が参加登録した。

どのパネル・ディスカッションでも、(ラオス政府の)公安組織の人間が後方に座り、少しでもラオス政府を批判しようとする気配があろうものなら、政府を擁護するために立ち上がった。政府の政策に不満を表明した村人が少なくとも一名、公衆の面前で嫌がらせを受けた。出席者の話によると、居合わせたラオス外務省の役人ですら、困惑したような素振りだった。

後に、アン=ソフィー・ギンドローツ女史は、ラオス政府を容赦なく批判する書簡を書いたが、この書簡によって彼女はビザを取り消され、48時間以内の国外退去命令を受けた。それから1週間も待たずに、ソムバット氏が行方不明になった。

事件は防犯カメラに記録されていた。ソムバット氏の親類が当日の夜に警察署を訪れ、数名の親切な警察官が見せてくれた防犯カメラの映像を携帯電話のカメラで撮影した。助けとなってくれた警察官たちは、今はもうその警察署にはいない。

今、シュイ・メンさんのラオス人の友人の多くは、彼女と会うところを見られることを恐れているようだ。そして、匿名希望のラオスの情報源によれば、密かにソムバット氏を誹謗中傷するようなキャンペーンが行われている兆候すらあるという。この人物によると、党の会合で、ソムバット氏がなんらかの違法行為や事業上のトラブルに巻き込まれていたとの話があったそうだ。

シュイ・メンさんとアンカナさんは先週バンコクで初対面の会合を持った。彼女たちの夫は同世代で、ソムバット氏は61歳である。

ソムチャイ氏について尋ねると、アンカナさんは一瞬言葉を詰まらせてから、「63歳になります。もし彼が生きているのなら」と答えた。

【訳注】
(※1)原文ママ。実際は、9年以上前。
(※2)あくまで記者の見解。文化、宗教、教育、歴史など多岐にわたった複雑な要素が原因となっていると思われ、なにより地元の人びとの大半は暴力の停止と平和を望んでいる。

 

原文(英語)はこちら
http://www.stasiareport.com/the-big-story/asia-report/laos/story/congruence-disappearances%C2%A0-20130418

 

(文責・翻訳 メコン・ウォッチ)

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