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パクムンダム>ダムと命を交換か(タイ語雑誌記事翻訳)
メコン河開発メールニュース 2003年1月2日

昨年末のタクシン首相で解決に向けた一筋の光明がさしたかに見えたパクムンダム問題。日本政府代表理事の後押しで世界銀行が融資を決めた1991年12月の理事会から実に11年の月日が過ぎました。今年こそ、影響住民たちが心から喜ぶ姿を皆さんにお伝えしたいものです。

この問題を現地で追い続けている、木口由香(メコン・ウォッチ)からの、今年最初のレポートです。


あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。

今日は久々に、目に留まった記事を翻訳しました。非常に良くまとまっており、かつ正確で、関係者が投稿したものと推測されます。

パクムンですが、相変わらずのこう着状態です。南タイのタイ・マレーシア反対運動の激化もあって、政府のNGO非難は続いています。この件については、11月末にプラチュアップのときよりも多い1300名もの学識経験者の署名でプロジェクトの見直し提言が出されましたが、政府は無視しています。政府が、というより、タクシン氏がということでしょうか。

パクムンについては年明けに決断、という発表でしたが、運動関係者は決定が出るとは思っていません。しかし、全てが首相の一存、という雰囲気で誰も先の見通しが立てられない状態です。首相府前は、200名ほどの貧民フォーラムの人が残って年越しをしているそうです。ワニダーさんたちはあまり表に立たず、パオロ君など住民の若者が広報やアクションを支えています。

『魚をもって電力と交換か、それともダムと命を交換か』(*1)

週間ネーション(タイ語雑誌)12月23日号

(*1)流域の人々が行っていたバーター経済を地元の人が説明するときに使う言葉、「魚をもって米と交換」をもじったタイトル。

首相府横のパクムンダム反対者の小屋が破壊されたことに続いて、ウボンラチャタニ県コンヂアム郡パクムンダム傍にあったダム反対者の最大のよりどころ、メームンマンユーン村(悠久なるムン川村)が焼き討ちにあった。これは政府が決断をしなければならない同じ問題から発生した事件だ。つまり、パクムンダムを「開ける」か「閉める」かについての決定である。

原告(問題を訴える人々)はずっと以前から変わっていない。1990年5月、チャーチャイ・チュンハワン首相の時代、タイ発電公社(EGAT)はこのプロジェクトの建設を閣議で承認された。デモや影響住民による反対はこの前から起こっており、他の様々な問題を「添加」しながら続いているのである。

運動は「サマッチャー・コンヂョン(貧民フォーラム)」という名のもと、姿を現すことにもなった。そのときから今日まで、住民の主な目的はいまだに変わっていない。それは「もとの暮らしを取り戻そう」である。

ダムの建設反対は失敗し、運動は補償金交渉へと変わった。しかしながら、手にした補償金は「暮らし」と交換できるものではなかった。特に、土地や金銭という単位では計れない魚を取る生業とそのための伝統的な知恵と代わるものではなかったのである。ムン川河口域に生活する人々は、パクムンダムの電力が自分たちの生活を向上させるものではないという真実を知った。その上、ダムの電力は必要がなく、例え発電の必要があったとしても、失われるものと比して割に合わないと信じられている。

この「もとの暮らしを取り戻そう」というパクムン住民の要求を検討してみれば、人々の要求の重みがはっきり見えるだろうか。

  1. ダムの8つの水門恒久開放
  2. 8年分の漁業機会喪失への補償金。野菜栽培などムン川の河畔を利用した生業への補償。水道料金補償、健康回復、ローカル・ノレッジ研究所設立、ダムから影響を受けた世帯の借金返済休止、2000年末に起きたメームン村焼き討ち事件における負傷者と損害器物への補償。
  3. ムン川の自然資源と早瀬の回復

要求が多いといえば多い。しかし、このプロジェクトによって、これらが村人の生活から失われたという事実を否定するのは困難だ。人々は最初の項目、「ダムの水門恒久開放」を求めて3年もの長きに渡って抗議を続けている。チュアン・リークパイ政権において、この要求は頑なに拒否された。その上、2000年末にはパクムンダム周辺にある抗議サイトであるメームンマンユーン村の焼き討ちが奨励されさえした。また、EGAT所有地であるパクムンダムを占拠したことで住民リーダーに不法侵入罪で逮捕状が出ている。

一方、タクシン・チナワット首相が政権を握った初日、首相は首相府の柵から出て、座り込みを続ける住民と一緒にプラーデーク(注:東北タイ住民が常食する魚の発酵食品)の食事を取り、問題解決に同意したのである。そして、「住民が中心」となることに障害となる法やシステムがあれば解決しなくてはならない、という考えを掲げた。

その日から、貧民フォーラムの住民はパクムンダムの1年間水門開放と、水門開放の影響を調査するためにウボンラチャタニ大学に数百万バーツの予算をつける、という閣議決定を手に入れた。(注:この段階では水門は4ヵ月開放で、その後ウボンラチャタニ大学の要請で延期された)水門開放でムン川流域の人々の生活は取り戻せるのか、それは割に合うことなのか、同大学によって調べられることになったのである。

パクムン住民の期待は膨れ上がった。貧民フォーラムのグループ内でパクムンダムの問題は一時的に抗議を休止し、研究結果の報告を待った。そして、政府が資金を出した調査は、次の4つの選択肢を示した。

  1. ダムの水門を通年閉めて発電を行う。2000年に水門が閉まっていたときの住民の収入は3,045バーツ/年のみだった。総計では18,805,920バーツ/年となる。一方、2001−2002年に水門が開いていたときは、世帯あたり10,025バーツ/年となり、総計は61,914,400バーツ/年であった。このため、この選択肢はダムからの発電に意味があるとはいえ、地域経済を活性化するものとはならない。このため、農業(注:第一次産業)以外への依存が増える。例えば都市への出稼ぎである。

  2. 雨季の間、7月から11月の5ヶ月水門を開放する。この時期には、大型の回遊魚がメコン河からムン川に回遊する時期である。しかし、6月から始まる小型の魚のダム上流への回遊は保証しない。この選択肢は7ヶ月の間発電ができるとはいえ、地域経済に貢献する漁業の完全な回復はもたらさない。

  3. 4月から11月までダムの水門を8ヶ月開放する。これは乾季の終わりから雨季にいたる期間となり、ムン川の水流は緩やかで漁業が円滑に行える。そして最初の3ヶ月には天然の早瀬が水面上に現れ、生態系に好影響がある。12月から3月までの水門閉鎖期間は乾季だが水をためて利用することが出来る。この選択肢からは発電と漁業双方の利点が得られる。

  4. 現在の電力需要が変化するまで、通年で水門開放を行う。ダムの発電上の問題は、技術的に様々な解決策があることが検討の結果明らかとなった。また、現在、工業を保護するための電力供給に緊急性はない。同ダムが全く発電を行わなくとも、電力供給の安定に影響しないことも分かっている。

パクムン問題解決への政府の非常に前向きな対応に加え、このプロジェクトに対する始めての学術的な真偽検討の調査が、水門開放は割りに合う、と保証したことで(開放に向けた)パクムン住民の確信は確かなものとなった。しかし、全てはぶち壊しとなった。

2002年10月1日、ポンポン・アディレークサン副首相(注:現教育相)を座長とする貧民フォーラム問題解決委員会が合意した「4ヵ月」−7月から10月まで−の水門開放という検討結果が、閣議で確認されてしまったのである。

「4ヵ月」は、政府自らが資金を出して調査させた報告に存在しない選択肢である。しかし、ポンポン委員会は次のような理由を掲げた。

「EGATは、雨季の間パクムンダムの水門を開放することに同意した。しかし開放が5ヶ月になると影響が出るので4ヵ月とする」というものだ。これによると、

  1. 調査結果にあるように、5ヶ月目の11月まで水門を開放していると、経済的価値のある回遊魚がメコン河に下ってしまい、漁業機会が失われる。
  2. 5ヶ月もの長期間の水門開放は発電機会の喪失を招き、平均で4600万ユニット、1億バーツの損失となる。
  3. 4ヵ月開放でメコン河からムン川への魚の回遊はカバーされている。

貧民フォーラムの住民のような失望者側の目から見ると、ポンポン委員会の決定はEGATの情報だけを信じ、政府の調査がまだ電力需要が無いと明らかにしているにもかかわらず、それをちらりとも見ていない、ということになる。

より根本的な問題で、あるいは他よりも重要な点は、EGATがパクムンダムを「水中の石の祭壇」とする状況を認められないということだ。なぜならそれは−ダムを作ったが役立たず、建設したが金の無駄、電力需要も無い−ということになり、EGATがダムを建設する前にきちんと調査をしなかったことを認めるに等しい。

最終的に、パクムンの住民と貧民フォーラムは、再び首相府の前に座り込みを始めざるを得なくなった。そして、テント小屋を壊され、メームン村を焼かれ、そして、政府に失恋するに至っている。(終)

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