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ラオス>セピアン・セナムノイダム決壊事故(5):女性たちの声

メコン河開発メールニュース2019年5月13日


ラオス南部で建設中のセピアン・セナムノイ水力発電ダム(以下XPXNN)の決壊事故についてお伝えするシリーズの5回目です。 これまでの回はこちらのサイトでご覧いただけます(関連メールニュース欄をご覧ください)。

2018年7月23日、村に水が来たのは夜の8時ごろでした。普通、村では夕食を終えそろそろ就寝の準備をする頃です。「洪水が来る」と連絡を受けた人たちも、まさか高さ10メートル以上の水が押し寄せてくるとは思わず、2階に荷物をあげて備えていたと言います。事故現場に近い側の村では、多くの家屋が水に流されています。ヨーロッパ連合のEmergency Response Coordination Centre作成の地図では、ダム決壊後の各地点での推定水位が示されています。

Emergency Response Coordination Centreのサイト

Dam Collapse and Flash Flood

 

12月の訪問は数日と短いものでしたが、出会った方ほとんどが、辛い経験を話してくれました。その中で、3名の女性のお話を紹介します。

<50代女性>
99歳になる母が崩れた家の中にいて、助けることはできなかったのよ。自分は甥に助けられたけれど。2歳の私の孫も母と一緒に亡くなった。夫は留守で自分も孫を抱えていたから。母の遺体は今も見つかっておらず、葬式をあげることもできない。私の村は100%壊された。ダムが壊れたなんて、何のことだかさっぱり分からなかった。私は孫二人をみなければならなかった。あの時、自分の子供がどんどん遠くに流されてしまって。もうダメだ、孫二人と取り残されたと、一晩中泣き続けた。でも、翌日無事に見つかったの。

<60代の女性>
屋根の上に逃げたんだよ。でも家ごと流されて、夫と二人で手を繋いで流されていたら、木につかまることができた。午後7時ごろから、夜が開けるまでそこにいた。8時か9時には水がいっぱいになった。あまりに速い流れにスカートが流されてしまって(救助される時恥ずかしかった)。他の村人や軍が船で探しに来てくれて、昼の12時ごろ、やっと救助されたの。身一つになったので、お金と家が必要。

<40代の女性>
何が大変かって?全てですよ。ここで何とか暮らしているけれど。家と、もともと持っていたバイクなどを返して欲しい。なくしたものを返して欲しいだけですよ。補償する、といわれているけれど、いまだに何もない。もしできないのなら、はっきり言って欲しい。自分たちで何とかするから。ここに5年も住めなんて、ありえないでしょう。もしここを離れたら、病気になっても責任を持ってもらえないから、キャンプに住んでいるのよ。水が足りないし、畑にも遠いし、我慢できなくてここを離れた人もいる。新しいものが欲しいんじゃないのよ。持っていた家や乗り物を返して。屋根にいた人も、流されたよ。泳げるような水ではなかった。泥水だったもの。いっそ、死んでしまった方が楽だったかも。死んだ人はもう楽になっている。生きている人が大変よ。今もこうして苦しんでいるのだから。

こうした女性たちの声を真摯に受け止める場が、未だに現場にはありません。

(文責:メコン・ウォッチ)

 

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