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[メコン・ウォッチ]

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メコンに生きる人々 −東北タイ、ムン川を中心に−

メコン川とその流域は「未開の地」であり、「発展のために開発が必要」という文脈で語られることが少なくありませんが、本当にそうでしょうか?今この瞬間に至るまで、川とその周辺環境は多くの人々の生活の場として長い間、持続的に利用されてきています。このページでは、流域に暮らす人々の生活がどのように森や川と関わっているか、紹介していきます。

生活

メコン河の支流、ムン川のほとりに住む漁師のAさんは漁期、午後5時に家を出て翌日の午前3時に帰る生活を続けます。夜の間、川岸のキャンプか船の中で仮眠を取りながら川の中の仕掛けや網を順番に見回るのです。家には30種類以上の漁具があると言います。

妻のBさんは取れた魚を持って、午前4時には船やバスを乗り継いで地元の市場に出かけます。市場が開くのは午前5時前。7時ごろには手持ちの魚を売って、家で作っていない野菜、日用品などを仕入れて帰宅します。

8時ごろ、家族は朝食をとります。メニューは魚料理と採取した野菜、主食のもち米です。Aさんはその後、仮眠をとってから菜園の手入れなどを行います。

また、他の家族のメンバーも頻繁に森や畑に出かけます。森では雨季にはキノコやタケノコ、乾季にはつむぎ蟻の卵を採取し食用とします。余分は市場で販売し現金収入を得るために利用しています。

人と魚

1)川を巡る魚たち

メコン河流域では、雨季と乾季の降雨量が非常に異なります。支流の小川の一部は乾季に涸れてしまうほどです。しかし、一度雨季に入って雨が降り始めれば川は再び豊かな水を湛えるようになります。

魚たちはこのような変化の激しい環境に適応し、進化してきました。多くの魚は、産卵・稚魚・成魚という段階を異なった環境で過ごしていきます。逆に言えば、異なる環境がセットで存在していない限り、種として存続できなくなるのです。メコン流域ではたくさんの種類の魚が雨季に支流やその氾濫原に入り込み、乾季で水が少なくなる時期にはメコン河本流に移っていきます。また、回遊する魚の多くが雨季の氾濫原を産卵に利用すると見られていますが、その実態は詳しく分かってはいません。


蛇行するムン川

回遊
水棲生物がその生活史のある決まった時期に、一つの生息域から別の場所に移動し再び同じ場所に戻ってくること。なぜ回遊するか根本的な理由は分かっていない。
【例】日本のアユ−>川の中流域で産卵、稚魚は川を下って海で成長、ある程度の大きさになると川に戻り、繁殖期には移動して産卵、といったサイクルを持つ
氾濫原
河川沿いの平野で、洪水時には水をかぶるような場所。

2)魚を食べる

メコン河の流域の人々はその支流で暮らす人々を含め、魚にタンパク源の約6割を依存していると言われています。魚は焼く・揚げる、または汁物や蒸し料理に、と様々なスタイルで食卓に上ります。

新鮮なものは香辛料と炒り米であえて、鯉の洗いのように生で食べることもあります。余分は干物にして保存、または市場で販売します。

また、東北タイやラオス・カンボジアの人々の間には、回遊の時期にたくさんとれる魚を保存する技が伝わっています。それは、日本でもお馴染みの「発酵」を利用するのです。魚の内臓を抜き、岩塩と糠(ぬか)などと混ぜて壷に保存しておきます。3ヶ月もするとそれは発酵して「パーデーク(東北タイ・ラオスでの呼び名)」と呼ばれる調味料兼保存食となります。魚の取れない時期にはもちろん、人々にとって調味料として日常生活に欠かせないものです。


市場に並ぶ魚


ローカルマーケット


パーデークの壷

報告書「タイ・ムン川流域住民の魚類利用」

3)魚をとる

私たちが頻繁に目にするのは、投網や刺し網での漁でしょう。

魚の多い時期は、たくさんの人が船上や川岸で投網を打つ光景を見ることができます。一日の農作業が終わる夕方は、特に多くの人が川に集まっています。また一歩村に入ると、たくさんの漁具が高床式の家の下に置いてあるのが目に付きます。

メコン河流域には、魚の生態を踏まえた様々な漁法が発達しています。トゥム・ラーンと呼ばれる「もんどり」型の漁具は、ラオスから東北タイまで広く利用されています。主に糠(ぬか)を餌にし、草食の魚をとる道具で、流れの穏やかな場所に石で重りをつけ流されないようバランスをとりながら仕掛けられます。漁師さんは数時間毎に引き上げ、かかった魚を取り出しまた餌をいれてもとに戻します。


投網を打つ漁師(1)


投網を打つ漁師(2)


トゥム・ラーンと漁師

ムン川流域では、11月から5月ごろまで使われています。トゥム・ラーンは、餌を水生昆虫に変えても利用できます。そのときかかるのは日本でいう「あゆもどき」の仲間、学名でBotiaと分類される魚の仲間です。日本では熱帯魚などとして親しまれていますが、この流域では食用となる身近な魚です。

また、ムン川流域ではトゥム・プラーヨン(ヨン魚のトゥム)と呼ばれる、全長7−8mにもなる巨大な漁具があります。餌は砕いた米とシロアリの巣などをまぜ、煮たものです。主な漁獲は、集団で移動する性質のあるヨン魚(Pangasiusの仲間)など。漁師さんは、どの魚がどのような行動をとり、何を食べているか熟知しています。


Botia


トゥム・プラーヨン


プラー・ヨン

川で魚を捕っているのは、川沿いの村の人だけではありません。農閑期には近隣の川から離れた村の人も、自転車やバイク、徒歩で川にやって来て魚を捕ります。乾季に浅くなった川は、女性や子供たちにとっても格好の漁場です。

川と生活

1)川の水を利用する


洗濯する女性

ムン川流域の人々にとって、川の水は生活の様々な面で利用される資源でもあります。暑い日の午後など、川で洗濯をする女性や水浴びにくる子供たちを見かけます。

また、自家用のポンプで水をくみ上げて、農業用水として利用している人もいます。家畜のための水としても重要です。乾季には、乾燥の苦手な水牛が群で川に浸かっているのを見かけます。川岸は乾季、放牧地としても有効に活用されています。

2)河畔の畑

メコン河の流域では乾季と雨季の水位差が大きく、乾季には河畔を利用した農業が盛んに行われています。これは、厳しい乾燥を避け川の水を利用して野菜や嗜好品(タバコなど)を栽培するものです。河畔は雨季には川の底なので、上流から肥沃な土が流れてきて畑は自動的に表土を更新されています。川を利用した無施肥の省力農業です。

川の水位が下がり始めると、人々はきゅうり、レタス、菜の花、豆・芋類などを順番に植えていきます。また、川に近いところにはパック・ブン(空心菜)といった水辺を好む野菜を植えます。タイではあまり見られなくなりましたが、ラオス側では綿花と染物に用いる藍(あい)などを作っているところもあります。このような土地は村の中で慣習的に使用権が決められており、一族の中で相続されています。


河畔の畑


河畔の畑

3)河畔での採取

「この野菜は無農薬」

村の人々はこう言って、河畔に生える野草を勧めてくれます。川岸に生える春菊のような草、そして木々の若芽。こういったものが「野菜」として食卓にのぼります。<写真14:食事に欠かせない野草>味は苦い・渋い・酸っぱいといったもので、初めて食べた人は驚くかもしれません。しかし、地域の人々にとっては魚料理などの付け合せとして非常に重要な食材です。

また、人々はたくさんの種類の植物を生薬として利用しています。何十もの組み合わせで薬を作ることに長けている人は、村の薬草医として尊重されています。


写真14: 食事に欠かせない野草


野草

4)水生植物

現地で「タオ」と呼ばれる藻があります。繊維の細いものは食用となります。刻んだタオに味付けした料理は海苔のような味です。タオはローカルの市場で食材として販売されています。

牛や水牛の餌とするため河畔の雑草を刈り取り、船で運ぶ光景も見られます。乾季には、水が浅くなり水中に光が届きやすくなります。メコン流域の川は透明度が低いのですが、乾季になれば川底にも日光が届き、様々な水草が繁茂します。乾燥のため家畜の餌となる草が不足すると、川辺に出かけて水草を引き抜いて水牛に与えることもあります。人々は自然の変化にあわせて、川を様々に利用しているのです。

乾季、浅瀬に発生するコケ類は、魚にとっても重要な餌となります。


乾季に発生する藻


川岸の草を刈る


水牛に水草を与える人

交換

1)塩の華

東北タイとラオス南部の一帯は、中生代の堆積層で岩塩層が非常に発達しています。雨季に雨水が岩塩の塩を溶かし地中へしみこむと、濃い塩水の地下水層が発生します。その塩は毛細管現象で再び地表へあらわれるのです。東北タイでは塩分の多い土地に灌漑を行った結果、塩害で作物が育たなくなっている場所もあります。


塩ふく大地

ムン川中流域では、塩の噴出した場所が広範に見られます。しかし、人々は過酷な環境をも利用してきました。こういった場所では乾季に塩を作ることが盛んです。塩華製塩と呼ばれるこの方法は、ラオスでも見られる乾季の重要な副業です。作られた塩は、パーデーク作りに欠かせないものです。女性たちは「海の塩では美味しくない」、「パーデークの魚が崩れる」と言って、必ずこの岩塩を使用します。

塩華製塩
地表に現れた塩の結晶(塩華)を水で溶かして鹹(かん)水を煮沸して製塩する。(新田栄治、「タイの製鉄・製塩に関する民俗考古学的研究」より)

2)魚と塩、塩と米、米と魚

塩は長い間、この地域で「交換品」として重要な役割を担っていました。塩を生産する村の人は、それをもって近隣の村に出かけ、生活に必要でかつ自分の村では手に入りにくい米や魚と交換して来るのです。交換品は非木材林産物であったり、パーデークであったりすることもあります。


キノコも重要な産品

米をたくさん作っている人ももちろん副食や塩が必要です。川辺の村に住み水田のない人は、漁業に生業を特化して魚や干物、パーデークを作り米と交換することを頻繁に行っています。魚を取る人は保存のための塩が必要です。塩を作る村はその立地を生かして生活に必要なものを手に入れます。メコン河中流域のタイ、ラオスでは村の人口が数百人と小さく、利用している自然環境も生産できるものも限られています。そのためか、交換は昔から行われていたといいます。

また、このような交換のシステムは、バーン・コーク(丘の村)とバーン・ナーム(川辺の村、またはバーン・ター、船着場の村)との関係として説明されることもあります。河川から離れて農業や林産物採取を行う「丘の村」と、河畔にあって漁業や農業を行う「水辺の村」。この二つは食料を補完しあう関係であるともいえます。村を越えたに人々の関係も緊密です。

3)食糧とお金の関係

このように、物々交換でものが移動する状況を経済指標など、数字で捉えることは難しいでしょう。

ラオスや東北タイは非常に貧しい地域、と言われています。実際、病気になったときの病院へのアクセスなど、基本的なニーズが満たされていない地域が多いことは確かです。しかし、そこに貧困からの飢えは見られません。

ムン川の流域でも、政府が定めた貧困ラインを下回る生活をしている人がいました。しかし、「川の自然が豊かであれば、お金がなくとも食べるのに困らない」と人々は言います。ある村人はムン川を銀行に例えます。この銀行は勤勉な人ほど、たくさんのお金を引き出せるのだそうです。

「お金が必要になると、川におりていきさえすればよかった。魚をとって売れば、必要なものをまかなえた」。ある漁師さんは、こう話しています。魚は流域の人々にとって重要な食料となるだけではなく、国の発行する通貨に両替できる、自然が与えてくれた貨幣のようだと言います。魚は食料としてだけではなく、現金収入の道としても人々の生活を支えているのです。

しかし、残念ながら今までの開発事業で、多角的に川を利用する住民生活を理解して行われたものは非常に少ないのです。ムン川ではパクムンダムが建設され、魚の回遊が妨げられ漁獲高が激減しました。ダムの貯水によって単調となった川の環境変化で、村人が利用していた植物などの資源は多様性の喪失と共に失われました。人々は経済的に困窮し、自給的な生活から都市での労働に頼るようになったといいます。ただ日常の食糧を手に入れるだけでも増える負債、出稼ぎによる一家離散でコミュニティは急激な変化に晒されています。流域の人々は、原因であるダムの水門を解放し自然を返してほしいと、長い反対運動を続けています。

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