メコン河とその流域は「未開の地」であり、「発展のために開発が必要」という文脈で語られることが少なくありません。一方で、人がこの地域で暮らし始めたころから今この瞬間に至るまで、河川と周辺環境は多くの人々の生活の場として利用されています。
ここでは、流域に暮らす人々の生活がどのように森や川と関わっているか、紹介していきます。
米を作る場所として、日本人がまず思い浮かべるのは水田−水を張った空間に、整然と並んだ緑の稲−ではないでしょうか。ラオスにももちろん水田がありますが、米は水田だけでなく焼畑でも生産されています。焼畑では陸稲が栽培されます。
この焼畑は、しばしば森林破壊の元凶といわれています。確かに、広い面積を必要とし、毎年移動して森を焼くことは、当然木を切ることを伴います。ラオスの人々は焼畑を何百年も前から続けていますが、戦乱が終わって人口が増加し、耕地面積は拡大傾向にあることは事実です。一方で、ラオスで本格的な木材の商業伐採が始まったのは1980年代以降。森林の減少が問題視されるようになってきたのは、1990年以降です。こういった流れを見れば、焼畑がラオスの森林減少の唯一の原因ではないことが想像できるのではないでしょうか。
ラオスの山岳地帯で暮らす人々は、木々が生い茂る「森林」と陸稲が植えられている「農地」を、明確に区別せず連続したものと捉えています。例えば北部ラオスのウドムサイ県では、焼畑地を「ハイ」、焼畑の二次林は「パーラオ」と呼びます。「パー」とは「森」を意味しています。もし「パーラオ」を十数年以上放置することがあれば、それはやがて「パーケー(年を取った森)」になります。そして時期が来ればその「パー(森)」を切り開き、そこがその年の「ハイ(焼畑地)」になる。焼畑は、水田や常畑とは異なり、森とその再生のサイクルの中に組み込まれるようにして成り立つ農業なのです。人々は焼畑で、森と畑の中間ともいえる状態の土地利用を行っているのです。また焼畑では、米だけでなく豆類や野菜なども作られます。
焼畑
木材以外に森林からもたらされる産物の総称です。ラオスやタイでは、花がしばしば食卓にのぼります。特に、よく見られるのはバナナの花です。パパイヤサラダの付け合わせなど、生で食べることの多い食材です。ラオスの村では野生のものがよく食されています。また、代表的な食材は、タケノコです。ラオス全土で盛んに採取がおこなわれており、焼畑の休閑地や村の周りに残した竹ヤブ、森の中などで採取されています。また、森では植物だけでなく、動物や昆虫も採取されて、食材として利用されています。
バナナの花
樹液の採集
木の実
メコン・ウォッチはラオスで、地域住民の生産活動と森林保全を両立させる水源林管理の仕組みを作り、地域住民主体の森林管理を実現することを目指して、調査・提言活動を行っています。
→ラオス森林保全プロジェクト
川とその周辺環境は多くの人々の生活の場として長い間、持続的に利用されてきています。ここでは、流域に暮らす人々の生活がどのように川と関わっているか、東北タイのムン川を例に紹介していきます。
ラオスやタイの人たちにとっては魚や香草を採る場所でもあります。水田での漁労は、雨季の大事な食料確保の手段となっています。 水田は、単に稲を育てるところではないのです。
水田に仕掛けられる漁具
また、河岸を畑とするような多彩な土地利用はメコン圏で良く見られるものです。雨季と乾季の明確なメコン河下流域では、乾季に広く現れる河岸を野菜畑として利用します。
乾燥の厳しい季節、普通の畑では水の確保が問題となりますが、この川岸畑はその心配がありません。また、雨季の間に毎年自然に表土が更新されるので、人工的な施肥のほとんど必要のない、環境負荷も投資額も少なくてすむ畑となるのです。
川岸の畑