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メコン河開発メールニュース 2006年6月26日
日本の住友商事が発電機の受注をし、政府系金融機関の国際協力銀行(JBIC)が融資を検討しているベトナム・アーヴォン水力発電ダムの問題について、2006年5月10日にニュースを流したところ、メディア関係者などから多くのお問い合わせを頂きました。
JBICによれば、少数民族のカトゥー族がほとんどを占める330世帯の移転対象住民は、すでに再定住地に移転を完了しているとのことです。しかし、その再定住地は傾斜地にあってこれから始まる雨季の土砂災害の危険にさらされ、住宅は欠陥だらけ。また、移転後の生計回復も進まず、補償金を食いつぶす生活を強いられています。
以下、2006年1月に移転が完了しているパチェパライン再定住地の状況を伝える現地新聞トゥオイチェー紙の報道です。
(なお、当初メコン・ウォッチは本事業名をアボンダムと表記していましたが、専門家等からベトナム語の発音との乖離があるとのご指摘を頂き、アーヴォンダムと表記を改めました)
ホーチミン市共産青年団機関紙 トゥオイチェー紙
2006年5月8日
ヴィエト・フン記者、ヴー・タイン・ビン記者
一見美しく堅固にみえる住宅区が森の中に作られている。しかし、これらの新しい住宅を受け取った人々は皆嘆息している。確かに人々は都市住民のような住宅を獲得したが、肝心の仕事が無い。大地を見、天空を見るほかにすることもなく、補償金を取り崩す日々だ。それがクァンナム省アーヴォン水力発電所建設事業のダムサイトから移転した人々の現実である。
132世帯(619人)が住むクァンナム省ドンジャン県マコーイ社のパチェパライン再定住地はホーチミンルート(国道14号線)から7キロメートル離れたところにある。ここは、アーヴォン水力発電所建設事業のダムサイトから立ち退きを迫られた住民のために作られた3つの再定住地のうちの最大のものである。この土地は元々アラン川の両河岸の二つの丘であった。
かつてアソー青年立業村のために作られた道路を活用して、アーヴォン水力発電所の事業管理班(PMU)は、この二つの丘を再定住地建設用地に定めた。丘の根元を削り取って平地にして宅地を造成する代わりに、事業管理班は丘の斜面をそのまま階段状に造成し、高床住宅を建設した。住宅の下は剥き出しの赤土・灰土で崩壊が進み、住宅は丘の上に吊るされたような状態に陥っている。
第96号高床住宅のあるじアラク・シウ氏は、下り斜面に接する自身の家(アラン河岸の30メートル上方)を指して、2006年初めの雨のとき、彼の家はまるで今にも地すべりが起こるかのようにぶるぶる震えたと話した。夫婦と子供は父親の家に間借りせざるを得なくなった。96号、97号の土台のそばには、今も地すべりの痕跡が残る。
石とセメントで作られた法面の防護壁は、その土と泥の中へ沈みつつある。多くの移転住民の話では、丘の土壌は泥土であり、保水力を持つ木が無ければ、水に浸かったとたんに流れ出してしまう。「雨季が来たら、住宅の下の土がもつかどうかわからない。もし土が流れ出したら、再定住地ごと泥土に飲み込まれてしまうのは必至だ」とアラク・シウ氏は語る。
集落を訪問した我々は、人々が住宅の中に住まず、不潔で湿った床下で生活している姿や、屋外に出て涼む姿を見て愕然とした。第91号高床住宅のあるじアラク・ポナン氏は、まだ夏でもないのに屋内は、まるで竈(かまど)のように蒸し暑いと嘆いた。低すぎるトタン屋根は吸収した熱を放射す先が無いために、屋内 は日中も夜間も蒸し風呂のように熱くなり、とても居住できる状態ではない。
一方、縦横20センチの12本の柱で支えられた高床は、人々は床下でまっすぐ立とうとしては、頭を打ってしまう。「毎日背中を曲げて出入りしなければならない。まっすぐ立って入れないんだ」とアラク・ポナン氏は言う。第91号高床住宅のあるじの場合は更に深刻で、日中は屋外や林内の木陰で過ごし、夜間は浴室・便所 そばの台所に仕切りを入れてそこで休む。屋内は鼠や蚊が多すぎて休めないのである。
午後の日差しの下、外から見た再定住区の様子は大変美しい。しかし、実際には、引渡しから4ヶ月しかたっていないのに、すでに劣化の兆しが各所に見られる。壁や扉回りや床、扉自体に亀裂が走り、第4級材で作られた梯子はシロアリが食い散らかしてニスの層が剥げ落ちている。これらに加え、人々が最も怒っているのは道路と水道である。
宅地造成を階段状に行ったために、道路はあちこちで曲がりくねり、湾曲している上、街灯の無い夜道で人と単車が側溝に転落する事故が頻繁に発生している。また、給水管は一本しかないため、一度に一箇所でしか給水できず、ある場所で利用している間は別の場所は「断水」となる。
アボン事業の住民移転計画は「安居楽業」(居住安定、生業回復)を謳うが、安居は上述の有様であり、楽業に至っては更に不安の極限にある。多くの世帯が補償金を消費に当て、家の前には単車があり、家内にはテレビの受信機や拡声器があるために、補償金を食いつぶししかない悲惨な世帯の内情は外見からはわからない。
ブロイク氏46歳は6人の家族を扶養している。かつて彼はダムサイトに数枚の焼畑、常畑、水田を持ち、養殖や狩猟などもやり、生活は充足していた。彼は4千万ドン(約40万円)の補償金を受け取り、うち3千万ドンで息子に単車を買い与え、残りは友人たちと飲み尽くしたという。その後、単車は頻繁に転落事故を起 こして遂に修理不能となり、補償金は消えうせた。
生産用の土地が支給されていないため、ブロイク氏の一家は一日中家で無為に過ごしている。再定住地の周囲を歩くと、あちこちで若者たちが昼間からたむろし酒盛りをしているのを見かける。女性は一日中ビデオフィルムを見たり音楽を聴いたりお喋りをしたりしている。なぜ何もしないのか尋ねて初めて、移転住宅は提供されたが、代替農地は提供されていないことが判明した。
前述のアラク・ポナン氏は夫婦・子供、皆健康で、焼畑・常畑での耕作と魚取り・鳥取りで生計を立てていた。しかし、再定住地への移転後はすることもなく、子供たちの教育のために補償金を取り崩している。ポナン氏夫婦はいつも家にいて、誰かの日雇い仕事や、ダム工事の手伝い、石工仕事の口を待つ毎日であり、食うや食わずの状態だという。
パチェパライン再定住地:今にも崩れ落ちそうな斜面である
(トゥオイチェー紙2006年5月8日)
注)この記事には再定住地の写真が掲載されている。表題は「山中にあるパチェパラインの『新市街』。その説明に以下のような記述がある。
「基本計画では各世帯は400平方メートルのf敷地と75平方メートルの住宅と、代替農地として1.1〜1.2ヘクタールの農作地を支給されることになっている。しかし、現状では、住宅を除く325平方メートルの敷地を完全に受け取った世帯はゼロであり、代替農地もわずか1,000平方メートルほどでしかない」