ホーム > 資料・出版物 > メールニュース >メコン下流本流ダム>サイヤブリダムの行方(その5)〜ベトナム農業・水産業への被害の懸念
メコン河開発メールニュース2011年4月18日
ラオス・サイヤブリダムについて、連日、このメールニュースでお伝えしていますが、今回は、メコン河最下流に位置するベトナムからの声を紹介させていただきます。
ベトナムの穀倉地帯であるメコンデルタでは、国内の年間生産量の5割に当たる穀物が生産されています。加えて、ベトナムの果樹栽培や漁業の大部分もメコンデルタの豊かな環境に支えられています。
メコン河本流にサイヤブリダムが建設されることになれば、このメコンデルタをはじめ、ベトナムも大きな環境社会影響を受けることになるでしょう。
以下では、サイヤブリダムによる農業と水産業への被害を懸念する環境専門家のインタビューを掲載した、ベトナム語紙(ベトナム共産青年団機関紙)の報道を日本語訳でお伝えします。この専門家、グエン・ヒュウ・ティエン氏は、4月15日のメールニュースでご紹介した「戦略的環境評価(SEA)」を実施したチームの一員でした。
ベトナム共産青年団機関紙『トゥオイチェー(若者)』
2011年2月24日(木)第6面(読者と本紙)
メコン河委員会(MRC)のメコン河本流各ダム建設事業に対する戦略的環境影響評価(SEA)専門家チームの構成員である環境専門家グエン・ヒュウ・ティエン[阮有善]氏は、メコン河本流ダムが引き起こす環境破壊について、本紙に次のように語った。
ティエン氏:
1995年にベトナム、タイ、ラオス、カンボジアが締結した協定は、各国はメコン河流域のダム建設に際しMRCに報告し、諮問を受け、同意を得る(PNPCA:Procedures for Notification, Prior Consultation and Agreement)規程を遵守しなければならないと定めています。
この規程は、2010年9月22日、メコン河下流本流ダム12基のうちの最初のものであるサイヤブリダムの建設に関するラオス政府の正式な報告というかたちで初めて「発効」しました。ラオスの報告はPNPCA規程にとっても、1995年協定にとっても重要な試練となります。12基のうちの1基だけをとって環境影響を云々することには意味がありません。12基全体の環境影響、特に国境を越える環境影響を評価することが必要になります。
サイヤブリダムがPNPCA規程をクリアすることは、他の本流ダムにとって重要な前例になります。ラオスはサイヤブリダムを含め10基のダムを、カンボジアも2基のダムの建設を計画しています。
聞き手:
この最初のPNPCA規程の適用をティエンさんはどう評価しますか。
ティエン氏:
この規程は期間の短さが問題だと思います。ラオスの報告から、重要な環境影響に関する答申の期限までわずか半年しかありません。このわずかな期間に数百万人の生活がかかっている環境影響評価を行います。今も地方レベルおよび国(中央)レベルで本流ダム建設に関する公聴会が行われていますが、有意義なものとはいえません。公聴会参加者の量も質もきわめて限定的なものにとどまっています。一度の公聴会で意見が聞けるのはせいぜい50人前後。公聴会にかけられる時間も2時間程度のきわめて短いものである上、公聴会参加者は公聴会前に十分な情報提供を受けることができていません。
ベトナムのメコン河下流域(九龍江デルタ)【1】に住む1,800万人の人びとのなかに、今起こりつつある、自分たちの生活・生計環境に影響を及ぼす変化について知っている人はほとんどいません。本流ダム建設公聴会に出席するためにやってくる多くの人びとにとって、そこで聞く話は何もかも初めて聞くことばかりです。
聞き手:
現在、複数のべトナム企業がラオス・ルアンパバーンおよびカンボジア・ストゥントレンにおいてダム建設工事投資に参加しています。ベトナム企業がやらなくても、どこかの国の企業がやるはずだといわれています。そのことについてティエンさんはどう思いますか。
ティエン氏:
ベトナムがメコン河下流本流ダムの建設に関与するなら、ベトナムが国内のメコン河下流域(九龍江デルタ)の環境について発言することはできなくなります。ベトナム企業がダム建設投資から得られる利益は、九龍江デルタの産業と生活が被る損失の危機と比較すれば、まったく取るに足らないものです。ベトナムがメコン河下流本流ダムの建設に手を貸すのは、自分の首を自分で絞めることです。被害が起きたとき、他の誰かに補償を要求することはもうできません。
九龍江デルタはベトナムにおける穀物の50%、水産物の40%を生産し、また国内最大の果実生産地でもあります。中・高等教育を受けた労働人口が国内最低(14.33%)に過ぎないこの地域で、比較優位は農業と水産業の二つの柱です。大径木などの林産資源や鉱物資源はほとんどなく、加工工業や運輸などの役務(サービス)業はすべて農業と水産業の二つの柱に依存しています。
メコン河下流本流ダムはこの二つの柱を壊滅させる懸念があります。この二つの柱が倒れれば、これに依存するほかの産業も共倒れになります。12基のダムの完成後、川を遡上して産卵する「カーチャン」【2】などの回遊魚22万トンから44万トンが消えうせます。これは現金換算すれば1年間にカントー橋【3】を1本から3本かけられるほどの巨大な損失です。
戦略的環境影響評価報告書によれば、メコン河下流本流ダム12基の完成後、九龍江デルタが享受する沖積土の量は今までの4分の1に激減します。沖積土は天然の肥料であり、九龍江デルタおよび沿海地方の稠富肥沃な土地はすべてその恩恵です。ダムが惹起する沖積土の喪失がもたらす経済的損失は、いまだ試算されていません。
聞き手:
ティエンさん、ベトナムは上流諸国の決定に対しどのように働きかけることができるでしょうか。
ティエン氏:
ベトナムはMRC構成国として、各国に対し、国境を越える環境影響に関する十分な情報を提供し、公聴会に先立って体系的で広範なデータを提供することにより、PNPCA規程を実効的に遵守し実施すべきであると要求することができます。メコン河下流本流ダム12基の採算可能性は売電の見通しに左右されます。電気を売ることができないならダムを作ることは採算が合いません。現在、メコン河下流本流ダム12基の売電先の90%はベトナムとタイであり、ラオス・カンボジア両国の国内向けは残りの10%に過ぎません。越泰両国がメコン河下流本流ダムから電気を買うか買わないか、それがメコン河下流本流ダム建設の可否を決定します。
聞き手:
ありがとうございました。
(聞き手:ズオン・テー・フン[楊世雄])
参考資料:専門家チームの見解
メコン河下流本流水力発電事業の戦略的環境影響評価を実施した専門家チームの統一見解は、メコン河下流本流ダムはすべて今後10年間研究のために棚上げすべきというものである。以下はその理由である。
1)あまりにも多くの点が明らかになっていない。情報があまりにも少なく、危険があまりにも大きい。政策決定者がよりよい決定を下せるよう、さらに研究を継続する必要がある。
2)メコン河下流本流ダムは、その建設および運行過程において、メコン河流域諸国に国際的緊張・不和を引き起こす懸念がある。水質劣化、沖積土の減少と劣化、断流(水流の消失)、水流から得られる利益の喪失、水産業および農業の生産効率の減少などが不和材料の主なものである。
3)メコン河下流本流ダムの効果的な管理と運行を保障する体制と規程が未完成であること。メコン河下流本流ダムの安全および運行規定の監察・取り締まり・追跡・実施に関する各国政府の能力と技能が依然きわめて低いこと。
4)メコン河下流本流ダムが惹起するさまざまな危険を克服する対策が未整備であること。これらの危険は永久的な損失であり、環境的・社会的・経済的に再建することが不可能である。
5)下流域の国境を越える環境被害に関する規定規準が未整備であること。各規定を実施するための組織や体制作りが未整備であるか、存在してはいるがきわめて弱体であること。
以上
【訳注】
【1】「九龍江デルタ」:メコン河はベトナム部分で何本かの支流に分かれて南シナ海に注ぐ。この姿を龍にたとえて「九龍江」と呼んでいる。
【2】「カーチャン」:ベトナム語で「白魚」の意味。
【3】「カントー橋」:南部ビンロン省とカントー市とを結ぶ、メコン河の支流ハウ川にかかる橋で、2010年4月に完成した。主橋部分の全長は2,750メートル。円借款約300億円が投じられた、日本政府の政府開発援助(ODA)案件でもある。
(文責・構成 メコン・ウォッチ、翻訳 新江利彦/メコン・ウォッチ理事)