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国際河川ネットワーク(IRN)
2004年3月
ラオスで過去10年の間に実施された水力発電プロジェクトは、生計手段の破壊や生態系への損害という負の遺産を残してきた。ダム建設によって、何万人ものラオス人が、必要な食料や清潔な飲み水、生活に必要な収入を得られなくなった。ラオス政府は、影響を受けたコミュニティの生活を改善するために、ほとんど何の対策も講じてこなかった。政府が対策を行ったところがあっても、断片的かつ無計画なもので、それも海外のNGOからの継続的な働きかけと圧力があってはじめて実現したものだった。ラオスには政府の行動を監視する独立の機関はないので、影響を受けたコミュニティは孤立し、社会的に無視され、怖くて懸念の声を挙げられずにいる。
この文章で取り上げる5つのケース・スタディを見ると、ラオスにおいて大規模なインフラ・プロジェクトを実施することが非常に難しいことが分かるだろう。どんな融資機関、二国間援助機関、請負業者が関わっていようとも、同じ問題が繰り返されてきた。
これらの経験を見れば、インフラ・プロジェクトが適切に監視され、公正で十分な補償が行われ、環境問題が適切に解決されるための、ラオス政府の制度面でのキャパシティーや政治的な意図について、根本的な疑問を抱く。アジア開発銀行(ADB)でさえ、最近のナムトゥン2ダムプロジェクトに関する文書の中で、「大規模で複雑な水力発電プロジェクトを実施するためのラオス政府の能力については、まだ大きな懸念が残されている」と認めている。
これらのプロジェクトのうち3つはADBによる融資を受けたもので、疑問は当然ADBに対しても向けられる。ADBはラオスの水力発電プロジェクトに融資することは、環境・社会影響が適切に解決されることにつながると主張している。しかしながら、ADBのモニタリングは質が低かったり、恣意的であったり、建設後には行われなかったりするので、影響住民はプロジェクトが実施されると前よりも生活が困窮するという結果が生じている。
韓国企業のDaewooによって建設され、1998年に完成したホアイホー水力発電プロジェクトは、南ラオスの2つの少数民族グループに壊滅的な打撃を与えた。ダムの水没地や流域に住んでいた約2,000人のHeuny族やJrou族の人々は移転を強いられた。移転地には、十分な耕作地がなく、清潔な飲み水の供給もなかった。移住によってばらばらにされ、先祖代々の土地や伝統的なコミュニティから引き離されたことで、多くの村人は伝統文化的な慣習を行わなくなった。
調査報告書によれば、移転地に暮すほとんどの家族は、1〜2ヘクタールの土地しか持たず、その土地のほとんどが不便なところにあり、地質も悪い。以前は人々の生活を支えてきた非木材林産物へのアクセスも限られており、深刻な食糧不足に陥っている。移転住民の90%の世帯はかつては米を自給できていたが、今は95%の世帯で米が不足していると見積もられており、一年のうちで米が足りているのはたった3ヶ月である。
村人には清潔な水も手に入りにくくなっている。最大の移転地では、1,750人以上の人々に対し、たった2つの井戸しかない。その結果、多くの村人は、一番近い水源まで1〜2キロメートルも歩かなければならず、かなりの重労働になっている。十分な水と食料が不足しているために、栄養失調やその他の健康上の問題が起こっている。
移転地に住んでいる人々の多くは以前の村に帰りたいと望んでいるが、政府の役人に阻まれ、帰ることはできずにいる。このような状況にも関わらず、村人たちが移転させられてから、これまで政府の役人が彼らを訪ねて、彼らが直面している問題を解決できるよう励ましたり、手助けしたりすることはなかった。トンニャオ村の村人はこう語っている。
「私の親戚と私は移転地には住みたくありませんでしたが、移転を強いられ、反対の声を挙げることはできませんでした。我々が数百年間も住み続けてきた故郷の土地と作物、野菜、そして幸せな生活が恋しい。」
出典:Nok Khamin, "More trouble for the Heuny", Indigenous Affairs, No.4/2000; "Hydroelectric Dams and the Forgotten People of the Boloven Plateau", unpublished report from field visit to the area,2003.
1996年に完成したナムソン導水ダムは、ADBから3,150万ドルの融資を受けたダムである。このダムは、ナムグムダムの貯水池へ水を転流し、ナムグムダムの発電能力を高めるために計画された。
オーストラリア・メコン・リソース・センターが2000 年に調査を実施した後、ADBはコンサルタントを雇って、“影響分析と行動計画”のフォローアップを行わせた。2001年10月に出された報告書には、ナムソンダムは「水界生態系と、導水ダムの下流の13カ村の人々の水利用に深刻な影響を与える」と書かれている。導水用の水路の沿岸(3カ村)、貯水池とナムソン川の導水ダムの上流(2カ村)でも、規模はそれより小さいが、悪影響が起こっている。
ダムによる影響は、1,000世帯以上にとっての漁業の衰退、ボートや漁網の損失、洪水や浸食による農地の損失、洗濯や水浴びのための清潔な水の不足などである。プロジェクトの危険な構造のせいで8人が亡くなっている。コンサルタントは、水を転流するようになってから6年の間に生じた損失の合計は、200万ドル近くにもなるとの見積もりを出した。コンサルタントによれば、「プロジェクトによる大きな影響が事前に確認されず、緩和されていないのは...(中略)...建設前に行われた調査、レビューのプロセス、さらにはプロジェクトの実施期間において、問題が起こるのを避けるために作られたモニタリングの枠組みが間違っていたということである」。
改善策についてコンサルタントからこれらの調査結果や提案が出てきたのにも関わらず、ADBは報告書を一般に公開し、ラオス政府にその提言に従うようにとプレッシャーをかけることはしなかった。ラオス政府は、コンサルタントが出したどの提案にも従っていない。
出典:Roel Schouten and Sean Watson, Nam Song Diversion Project ADB TA 5693-Draft Impact Analysis Report and Action Plan, Asian Development Bank, October 2001.
ナムトゥン2ダムの建設予定地から50キロメートル下流にある、210メガワットのトゥンヒンブンダムは、アジア開発銀行の融資を受け、トゥンヒンブン電力会社(THPC)によって1998年に完成した。THPCにはラオス政府、北欧とタイの企業が出資している。
トゥンヒンブンダムは、ダムの下流と上流に暮す57村の25,000人以上の人々の生活に深刻な影響を与えた。30〜90%もの漁獲高の減少、畑の喪失や乾季に飲み水を得ていた水源の破壊、漁網の損失、交通の困難さが増すなどの影響が起きている。トゥンヒンブンダムにより、水はナムトゥン川からナムハイ川とナムヒンブン川へ転流される。ナムハイ川とナムヒンブン川の川沿いでは、水位が上昇したことで、深刻な河岸浸食が起こっている。ADBとTHPCはこういった影響が起きていることを認めている。
数年間にわたってNGOが訴え続けてきたことで、THPCは2000年9月に影響緩和策と補償策を発表した。このなかで、影響緩和と影響住民に対する補償のために、10年間にわたって500万ドルを使うことが約束された。企業はコミュニティに対するプロジェクトの影響を緩和するために積極的に動いているが、まだ全ての影響コミュニティに十分な補償が行き渡っていない。
国際河川ネットワーク(IRN)のスタッフが2002年にプロジェクト地を訪れたことで、THPCが自給自足の生活を回復させるための試みのなかで直面している多くの問題が明らかになった。飲料水を供給するための井戸は浅すぎたので、洪水によって堆積物が詰まると、使えなくなってしまった。ナムハイ川沿いの河岸浸食は治まらず、村人の畑や水質に影響を与えている。村人に果物を作るよう勧める生活支援策が経済的に実現可能かどうかも定かではない。この他にも問題が山積しているが、THPCは補償策を改善するための取り組みを行っており、3月にはTHPCの環境管理部門のレビューが出される。トゥンヒンブンダムによる影響に苦しまされ続けている25,000人の人々の自給自足の生活を回復できるかどうかという疑問は残されたままだ。
出典:Bruce Shoemaker, Trouble on the Theun-Hinboun: A Field Report on the Socio-Economic and Environmental Effects of the Nam Theun-Hinboun Hydropower Project in Laos, IRN, 1998; Asian Development Bank, Aide Memoire: Special Review Mission, 18-28 November, 1998, and 9 to 18 November, 1999; personal communication with Theun-Hinboun Power Company.
60メガワットのナムルック水力発電所は、1999年に完成し、ADBと日本政府が融資を行った。Phou Khao Khouay国立公園に位置するプロジェクトは、ナムルック川の水をナムサン川に転流する。
プロジェクトは、収益の1%をPhou Khao Khouay国立公園の保全のために使うという契約の下、実施された。2003年4月にラオス電力公社(EdL)からIRNに来た書簡の中でEdLは、資金を管理し、運営計画を実行する上で、制度面のキャパシティーが不十分であるために、収益が完全には分配されていないということを認めている。
9,500人以上の人々が、ナムルックダムから直接的な影響を受けると予想されているにもかかわらず、プロジェクトが計画され承認されてからの長い間、影響を受ける村人とのコンサルテーションはほとんど行われなかった。2002年10月にIRNはダムの下流のナムルック川沿いに住む村人に会った。村人が抱えている懸念は以下のようなものである。
不十分な水の供給:ダムができる前は、村人は飲み水を川に依存していた。今では、もし川の水を飲んだり、川で水浴びをしたりすれば、発疹ができ、お腹を壊してしまう。村人はプロジェクトの実施者から、新たな水を供給すると約束された。しかし、未だに乾季の間は水が足りなくなる。
手が届かない電力:送電線は引かれているものの、接続料金が高い(一人当たりの年収のおよそ半分)ので、電線につないでいる家はほとんどない。村人は、電力が無料で供給されると信じていた。
灌漑の問題:ナムルック川の水位が下がったことで、畑を灌漑するのが難しくなった。村人は乾季の間、畑に水を引くために、ずっと遠いところから水を運んでこなければならない。
魚の減少:魚の漁獲量は、1日当たり2〜4kgから1kg以下に減少した。以前よりも漁業に長い時間を費やし、より道具にお金をかけているにもかかわらず、村人は市場に売れるほどの魚を捕ることはできず、時には食べるのに必要な分も捕れない。
IRNが2000年に村を訪ねた時、村人はナムルックダムの影響緩和策の実施を担当するコンサルタントが、養魚池やその他の生計手段を移転地に移すと約束したと言っていた。村人によれば、今に至るまで、約束された補償策は全く実現されていない。
出典:Personal communication with villagers; Susanne Wong, "Nam Leuk: Another ADB-Founded Dam Fiasco in Laos", World Rivers Review, April 2003.
6300万ドルのナムマン3水力発電プロジェクトは、ラオス政府と中国輸出入銀行の融資を受けている。プロジェクトは2004年12月に完成する予定である。ナムマン3ダムは不透明なやり方で計画、承認、融資が行われた。まだプロジェクトの計画が完成しておらず、ラオスの法律上必要な調査も実施されてもいないのに、建設は2001年末に開始された。世界銀行、IMF、ADBはこのプロジェクトの実施と経済的な実行可能性について懸念を表明している。
このプロジェクトの結果、少なくとも15,000人の生活に影響が生じることになるだろう。このうち、3つの村に住んでいる約2,700人が、プロジェクトの貯水池により、家、田んぼ、果樹、養魚池、牧草地、そして墓地を失う。彼らは移転や、失った財産への補償の計画について、情報を与えられていない。
ナムニャン川とナムグム川沿いに生活する何千人もの人々が、ナムマン3ダムによって生活への影響を受ける。ナムニャン川から水を転流することで、ダムの下流の水位は著しく低下するだろう。そうなれば、魚は減り、川岸の畑や家庭用の水の供給に影響が生じる。ナムグム川では、水量が増加することで、漁業や灌漑、川岸での農業などで川に依存して生活する7カ村の少なくとも1,100世帯が影響を受ける。
ナムマン3ダムの影響を緩和するための取り組みはうまくいっていないようだ。プロジェクト自体の環境管理計画と社会行動計画の中でも、十分な資金源がなく、政府のプログラム実施能力に問題があることから、プロジェクトの影響をきちんと緩和するのは難しいと指摘されている。
出典:Resource Management and Research, Environmental Impact Analysis and Outline Social Action Plan and Environmental Management Plan, produced for CWE and Electricite du Laos, 2002; New Lao Dam EmPoiled in Controversy: Report from a Fact-Finding Mission to the Nam Mang 3 Hydropower Project, IRN, March 2003.
このページは、International Rivers Network:The Legacy of Hydro in Laos (PDFファイル) を翻訳したものです。