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国道一号線
「国道1号線改修事業」は、ベトナム南部のホーチミン市とタイのバンコクを結ぶ「第2東西経済回廊」の一部であるカンボジア国道1号線160kmのうち、首都プノンペン市からメコン河渡河地点のネアックルンまでの約55kmを改修する事業です。道路の拡幅に伴い、道路沿いに住み国道1号線を生活道路として使う2100以上の家屋が移転を余儀なくされます。
カンボジアには住民移転に関する法律や政策が存在しておらず、住民移転を実施するカンボジア政府の行政能力も十分ではありません。そのため、過去の道路改修事業において、道路沿いの住民が立ち退きを強要され、十分な補償費をもらえず生計手段を失い、移転後の生活再建が極めて困難になった事例がいくつも明らかになっています。
本事業における住民移転計画は日本側の継続した働きかけにより、過去の教訓を活かすことを試みながら作られました。しかし、過去のプロジェクトでも特に問題となった補償内容の妥当性については、十分な検証や議論がなされないまま、本事業への無償資金協力は決定されてしまいました。妥当性が明らかでない補償内容のまま住民移転が始まることに、強い懸念の声が上がっています。
ベトナムのホーチミン市からカンボジアのプノンペンを通り、タイのバンコクを結ぶ『第2東西経済回廊』の一部であるカンボジアの国道1号線のうち、首都プノンペン市からメコン河渡河地点のネアックルンまでの約55kmを改修する事業です。現在の道路幅を拡張することで、車の走行時間を短縮しようとしています。また、この区間はメコン河に平行して位置するため、雨季には洪水の被害を受けます。そのため、堤防の機能を果たせるような道路の嵩上げや排水設備の整備などもおこなわれます。
現在、国道一号線は生活道路の役割を果たしており、道路沿いには多くの人びとが住んでいます。道路の拡幅や嵩上げは、このように道路沿いに住む人たちの家屋約2100軒の移転を余儀なくします。住民移転の規模の大きさから、本事業はJICAの環境社会配慮ガイドライン(以下JICAガイドライン)のカテゴリAに分類され、道路沿いに住む人びとの「移転後の生活水準の改善または回復」の確認を求めたJICAガイドラインのパイロットプロジェクトとしても位置付けられました。 本事業でもっとも懸念されているのが、立ち退きを求められる人々の移転後の生活再建です。特に、数千人規模の生活再建を困難にしたカンボジアの過去の道路改修事業の失敗が繰り返されることが強く懸念されており、それには以下のような背景があります。
生活道路として利用されている国道一号線
道路沿いの店で買い物をする人々
ブルドーザーで立ち退きを迫られている住民
カンボジア国道一号線160kmのうち、ベトナム寄りの105kmは、ADBの融資によって先んじて改修されました(以下、ADB融資区間)。1999年末から始まった約1100世帯の立ち退きでは、多くの住民がもらえるはずの額よりも低い補償費を受け取り、中には補償を全くもらえなかった住民もいました。また、立ち退きが始まる2ヶ月前の1999年9月にカンボジア政府が出した首相令により、国道一号線の中心線から左右30メートルずつの道路敷が国有地とされたため、その土地に住んでいた人たちは突然「違法居住者」となり、失う土地への補償がおこなわれませんでした。移転地が用意されることはなく、道路沿いの店舗や農業など生計手段の喪失への対策もとられませんでした。人びとは、立ち退きや補償内容に関する十分な協議の場も情報も与えられないまま、カンボジア政府に合意を強要された事例が確認されています。土地や資材、生計手段、社会的なつながりを奪われ、不十分な補償額しか受け取れなかった住民の多くは、生活を再建することができませんでした。住民移転の計画の立案と実施を担当したのは、カンボジア政府の省庁間移転委員会(IRC)ですが、日本政府が援助をおこなう国道一号線の55km区間の住民移転も、同じこのIRCが担当します。
ADB融資区間で取り壊された家の前で。
この後生活再建ができずに3回の移転を繰り返すことになる
カンボジアは、立ち退きや土地収用に関する法的枠組みが未整備です。憲法や土地法は政府に土地収用権を与えていますが、土地を奪われた住民の生活再建を確保するようにはなっていません。また、補償の基準も明確に定められていません。つまり、立ち退きを強いられる住民は、生活再建のために自らの権利を参照し守る手段を持てない状況にあります。
法的枠組みが未整備でも、カンボジアにおいて大規模な立ち退きをともなうインフラ開発を進めるADBや世界銀行などの援助機関は、これまで、自らが持つ「非自発的住民移転政策」を適用するようカンボジア政府を説得してきました。特に、「非自発的住民移転政策」の次の部分が重要視されています。
・ 立ち退きは、可能な限り避けなければならない
・ 立ち退きが避けられない場合は、事業の実施のために個人/コミュニティが土地、生計手段、社会的扶助制度、生活様式を失う場合、経済的・社会的状態が少なくとも事業がおこなわれる前のレベルに回復されるように、土地、家屋、インフラ、資源、生計手段やサービスの再取得に対して現金または物品による補償と支援がおこなわれる
・ 全ての補償は、再取得費用(注)の方針に基づいておこなわれる (ADB OM Section F2/BP, D.4.(iii)、世界銀行の政策もほぼ同様の内容)
(注)再取得費用(Replacement Cost)とは、市場または最も近い価値で失われるものを取り替えるための資産の評価方法に、手続き費用、税金、登録費、権利費などの取引費用を追加したもの。世界銀行も同じ政策を持つ。この概念の下であれば支払いが遅れた際の利子も支払われることになり、生活再建には必須の条件とされている。近年は、再取得費用であっても補償費だけでは失われる機会費用や生活再建までのタイムラグを埋めることは難しいことが指摘されており、補償以外の追加投資や生計回復プログラムなどの必要性が議論されている。
カンボジア政府は融資を受ける条件ともなるため、このような援助機関の政策に合意してきました。理論上は、こうした援助機関の政策が、悪影響から住民を守る数少ない手段となったと言えます。
一方で、カンボジア政府は政府・民間事業の住民移転には、この政策を適用しようとはしていません。そのため、カンボジアでは援助事業とそれ以外の事業で、住民の法的保護、権利や支援のシステムに2つの基準が存在することになり、実施機関の間に混乱をもたらしています。
カンボジア政府の中には、住民移転の実施を担う常任の部署がありません。そのため、住民移転はその時々の実施機関が各自の裁量で、十分な知識や経験を持たない職員によって実施されてきました。先に国道一号線の改修事業への融資を検討していたADBはこれを問題視し、暫定的に住民移転を担当する主体をつくる支援をおこないました。その結果、1997年3月、「省庁間移転委員会(Inter-ministerial Resettlement Committee、IRC)」の設置が決定されました(政情不安により1999年まで保留)。
ADB融資区間では、ADBの「非自発的住民移転政策」やIRCの設置により、適切な立ち退きをおこなうための体制は準備されていたかのように見えました。しかし、カンボジア政府はADBと合意していた「移転実施計画」を勝手に書き換え、移転の枠組みを下記のように次々とないがしろにしていったのです。
カンボジア政府とADBが合意していた移転の枠組み(融資契約) | カンボジア政府による枠組みの変更 |
・ ADBの「非自発的住民政策」が適用される ・ 事業により、収入や生活水準の物質的な減少、不必要な社会的・文化的な変容があってはならない ・ 影響住民は利用している土地への正式な法的所有権を所持していなくても、補償の対象となる ・土地収用にかかる補償は、土地とその上に立つ建造物全ての再取得費用と同等のレベルでおこなわれる |
・「移転実施計画」に書かれていた家屋の補償単価を低く変更 ・低い単価に変更した後の実際の支払いにおいても、家屋の古さと再利用可能な資材を恣意的に判定し、補償額から差し引く ・ 道路敷内の土地を補償対象から外し、約束されていた移転地は準備せず・ 果樹への補償は一切おこなわない ・ 移転者数を減らすため道路幅20m〜30m以内の住民のみを移転対象者とすることで合意していたにも関わらず、道路幅50m内の住民を全員移転させる(1100世帯→1500世帯に増加) |
さらに、IRCは、ADBと合意していた「住民との協議」をおこなわず、また十分な情報も提供せずに住民に移転および補償内容への合意を強要したケースが確認されました。また、移転後の問題に対応する「苦情処理委員会」も設置されていましたが、委員会のメンバーには被害を引き起こしたIRCが入っていたため、住民は委員会の効果を期待できないと考え、また報復を恐れてほとんど申立てはしませんでした。実際に申立てられた件に対しても、委員会は一度も救済を行ないませんでした。
こうした移転の枠組み変更の背景には、援助機関と合意した移転の枠組みを実行するには、カンボジア政府は大きな予算を住民移転対策に費やさなくてはならいため、予算を抑えようとしたことがあったと推察されています。また、援助機関と政府の政策との間にギャップがあり、それを埋める行政能力および人権意識が追いついていないことも問題となっています。IRCの実務担当レベルでは、「住民に支払うのは『補償』ではなく『支援金』であり、その額は政府の都合で決めるものである」と認識されていたことが明らかになっています。
ADBの最大の失敗は、当初の移転の枠組みと内容が異なる「住民移転計画」を誤って承認してしまったばかりか、2年以上もこの過失に気が付かなかったことです。ADBの監督・モニタリング体制がいい加減だったことも手伝い、1999年末に始まった住民移転は失敗し、移転後に生活が再建できない住民が大勢現れたのです。
国道一号線ADB融資区間で起きた住民移転の問題は、他の援助事業でも確認されました。ADBは、国道5、6、7号線改修事業(通称プライマリー道路)や国道5、6号線改修事業(通称GMS道路)など、6つの融資事業でほぼ同様の問題を確認しています。また、国道3号線、6号線の改修を融資した世界銀行も、補償が再取得費用で支払われなかったことを確認しており、カンボジアで自らの「非自発的住民移転政策」が適切に反映されることの難しさを認めています。
ADB融資区間の監査で深刻な立ち退き問題を確認したため、ADBは他の事業への対応も合わせて、問題解決に向けた取り組みを始めました。ただし、提案された解決策の実施は、完全にはカンボジア政府に任せられないという課題も残っています。
ADB融資区間の被害住民。6年経った今でも住む土地がない
第1に、既に立ち退きがおこってしまった事業の問題解決です。例えば、国道一号線ADB融資区間では、不足分の補償費を住民へ返済することをカンボジア政府と合意し、苦情処理委員会を改変して被害住民の救済をおこないました。しかし、補償費の返却では、再びIRCによる不払いや割引いた額での支払いが確認され、次々と出される住民からの苦情にも苦情処理委員会は効果的に対応できていません。そのため、ADBやNGOの継続的な介入で軌道修正が必要となっています。
第2に、ADBの「非自発的住民移転政策」に照らし合わせた計画中の事業の再評価です。住民移転問題が確認された国道一号線改修事業を含む7つの事業では、全てにおいて同政策は反映されていなかったからです。ADBは補償費が再取得費用を反映しているかの確認をおこない、カンボジア政府に市場価格調査に基づいた補償単価への変更を求めました。また、IRCが恣意的に判断するため、家屋の4分類による評価方法を止めました。カンボジア南部における新たな事業、GMS送電線敷設事業などではこういった取り組みが反映されています。補償単価の決定は、カンボジア政府との間で常にもめるため、いくつもの事業でADBがIRCと一緒に調査をおこない、IRCに研修をおこないながら進めています。
第3に、立ち退きに関する実施体制の改革と、法的枠組みの整備への支援です。IRCの役割を縮小することや、国家移転政策の策定などが含まれており、ADBが世界銀行と共同で取り組んでいます。ADBは2001年から国家移転政策策定の支援をおこない、既に政策の草案はできていますが、カンボジア政府の中で意思決定が進んでいません。ADBは新たな技術支援で2008年の策定を目指していますが、2006年9月現在、いつになるかの目途は立っていないようです。
JICAが国道一号線55km改修区間で認めた住民移転の手続きと補償内容は、当初、ADB融資区間でカンボジア政府が実施した内容とほぼ同じものでした。これに対して内外で批判が出たため、JICAは予定よりも計画を大幅に遅らせて環境社会配慮支援調査をおこない、ADB融資区間の教訓を活かしながら、移転手続きを改める働きかけをおこないました。例えば、カンボジア政府に対して、住民に合意を強要しないことや移転地を用意すること、苦情処理委員会にIRCを入れないことなどを求め、行政能力の弱いIRCによる住民の資産評価を支援し、カンボジア政府から独立したモニタリングもおこないました。現地のNGOから指摘のあった合意取得方法の不備についても再調査をおこない、課題は残るものの問題回避に努めていきました(詳しくは「ファクトシート添付」を参照)。
しかし、住民の生活再建を左右する補償内容には、ADB融資区間を始めとする過去の事業の教訓は適切なかたちで活かされませんでした。当初JICAは、カンボジア政府から提案された補償内容に対して、「策定から時間が経っている」という理由で見直しを求めることはしました。しかし、その後カンボジア政府から出された見直し結果が、JICAガイドラインに書かれている社会配慮の基準を満たしているかをどうやって判断したのかは不明確なままです。カンボジア政府による補償単価の算定方法が妥当であったかも検証されることはなく、無償資金協力が決定されていまいました。
JICAガイドラインは、立ち退きに関して、ADBや世界銀行の「非自発的住民移転政策」とほぼ同じ内容を求めています。すなわち、影響を受ける人びとに対して十分な補償および支援が与えられ、人々が以前の生活水準を改善または回復することを確保しなければなりません。ADBや世界銀行は、この実施のため、試行から約10年経つ同政策に「再取得費用での補償」を明記しています。これには、市場または同等の価値で住民が失う資産を取り替えられることが求められており、補償単価は市場の価格調査に基づいて決定される、という一貫した方針があります。相手国政府の提案は常にこれに照らし合わせて検証されます。カンボジアでは、多くの融資事業でADBがこの検証を行なわなかったという、監督責任不履行の問題がありました。
一方、JICAガイドラインは「再取得費用での補償」は求めていません。カンボジアにおける過去の融資事業で補償単価およびその算出方法が妥当ではなかった、というADBや世界銀行の分析を踏まえれば、JICA・外務省はたとえ「再取得費用での補償」でなくとも、何らかの自らの基準でカンボジア政府が提案してくる補償内容を検証する必要があるでしょう。しかし、「内政干渉」を理由に日本側の基準は最後まで明確にはされませんでした。
日本側に明確な基準がないため、カンボジア政府による補償単価の見直し結果を受け容れるかどうかの判断は、カンボジア政府の説明と、それとは異なる他のドナーやNGOからの新たな情報に左右されました。そのため、結局補償費の見直しに1年以上もがかかっています。国道一号線55km区間の補償単価には2度の見直しおこなわれましたが、最終的な補償単価は曖昧なままです。JICA・外務省は、「ドナー間での制度の公平性」という理由からは、ADBや世界銀行が求める「再取得費用での補償」の必要性を認識しているようです。しかし、それを適用するか否かはあくまでもカンボジア政府による決定事項であるとしています。カンボジア政府がいつ「再取得費用での補償」を決定するかは不明なままです。
ADB融資区間。立ち退きのため解体される家
最大の問題は、この間に住民移転の手続きが進み、無償資金協力が決定されてしまったことです。社会配慮の監督責任も、当初から調査をおこなってきたJICAから外務省へと移ってしまいました。道路沿いの住民は、「とりあえず」見直し前の補償単価に基づいて補償費を受け取り立ち退くことを求められています。JICAは見直し前の補償単価は、家屋の資材をリサイクルすることを念頭においた「移築価格」であるため十分であるといいます。しかし、補償単価の算出方法が検証されていないため、その根拠は不明確なままです。また、カンボジア政府が「再取得費用での補償」を決定すれば、後日「移築価格」との差額を住民に追加で支払う、といっていますが、ADB融資区間で既に起きている追加支払いの混乱が繰り返されることが予想されます。現在の補償内容のまま立ち退きを求められている住民が借金を負うことなく果たしてどこまで生活再建ができるのか、現地からは強い懸念の声が上がっています。
カンボジアでは、行政の能力は低く、法的枠組みは整備中、司法はほとんど機能していません。また、汚職や人権侵害などの問題が顕著に見られるなど、深刻なガバナンスの問題があります。弱いガバナンスは、開発援助の効果を弱めるだけではありません。カンボジアの市民の立場は強権的な政府に対して非常に弱いために、援助国・機関支援によるカンボジア政府主体の開発事業は、国道一号線のADB融資区間のように、住民に被害を及ぼす高いリスクを抱えています。
援助国・機関は、カンボジアのガバナンスの弱さを十分認識していながら、行政能力や人権意識が最も必要とされる住民の立ち退きを伴うインフラ事業を推し進めるという、矛盾した援助をおこなっています。カンボジアの現状を考えて少しずつ改善するしかない、個別の開発事業によってカンボジア政府の行政能力を向上させていくべきという議論もありますが、それにより事業によっては数千人規模の被害住民が出るのです。
しかしそれでも援助国・機関が現状下で事業をおこなうというのであれば、社会・環境影響の緩和策の実施をカンボジア政府に任せるのではなく、移転実施計画の作成などに徹底的に関与して自らのガイドラインが厳密に守られていることを確認し、事業による悪影響を回避することが義務といえます。ガイドラインの適切な実施および援助効果の向上のためには、カンボジアの現状、特にガバナンス問題に関する適切な分析に基づいた対策を練ることが不可欠であり、「内政干渉」を言い訳にすることなく、場合によっては自らの基準や制度、資金で問題解決をおこなう覚悟が必要なのです。国道一号線改修事業は、JICAおよび日本政府にカンボジアへの援助のあり方の再考と、住民移転に関する方針や手続きのレビューを求めているといえます